2013年論創社

 厚さ5センチ、本文540ページのハードカバーの本、しかも伝記を読むには、それなりの覚悟がいる。
 途中で挫折もあり得るかもとページをくくり始めたら、これが予想を超える面白さ、三日足らずで読み上げてしまった。
 伝記としての記録的価値のみならず、一つのエンターテインメントとして優れている。


IMG_20190930_175843


 長部日出雄は、1934年青森生まれの直木賞作家にして、映画監督(柴田恭兵主演『夢の祭り』1989年)にして、太宰治や棟方志功の伝記作家にして、なによりも映画評論家である。
 ソルティは、直木賞受賞作の『津軽じょんから節』はおろか、長部の他の著作に触れていないので断言は控えるが、この『木下惠介』伝が長部の最良の仕事であり、もっとも後世まで読み継がれていく作品になろうと予感する。

 面白さの要因は、多くの伝記作家や研究者が書くような客観的記述による学術的装いの評伝とは違って、木下の生涯の年譜的事実については正確を期しながらも、いい具合に主観的で物語的なところにある。
 木下より22歳年下で、思春期から青春の多感な時期に木下映画をリアルタイムで浴びるように観た長部の、個人的な思い入れや体験が随所に盛り込まれている。
 ソルティのようにDVDで作品を後追いする惠介ファンでは到底わかりえない、戦中戦後から50年代黄金期を経て、テレビが登場し斜陽が決定的となった60~70年代までの日本映画史の中で、当時の観客(=日本人)が木下惠介の一作一作をどのように受け止めていたかが、実によく伝わってくる。
 木下の全49作を一つ一つ解説し、その制作秘話やあらすじや見どころ、世間の反応(興行成績やキネ旬評価)を記しているので、木下映画指南書としての価値も高い。
 むろん、木下惠介の生涯を丹念に取材し、人となりがくっきりと浮かび上がるように構成していく手腕は、プロの小説家兼伝記作家ならでは。
 映画に対する、また木下惠介と木下作品に対する長部の(東北人らしい)純朴な敬愛の念がどのページにも横溢しているところが、本書を喜ばしいものにしている。

 読み終わって感じ入るのは、木下惠介の旺盛なる創造力、天才的ひらめきやユニークな発想力、疲れを知らない活力、喜劇も悲劇もラブストーリーもアクションも社会問題も文芸作品もオリジナル脚本も、いかなるジャンルでも平気でこなし成功を収めてしまう柔軟性と器用さ、撮影現場でのエネルギッシュで楽観的な振る舞い、加えて映画から新興のテレビに映っても次々とヒットを飛ばし一時代(と一財産)を築いたしたたかとも言える世渡り術である。

 49作のうちキネ旬ベストテンに入った作品が20作を数え、『破れ太鼓』、『カルメン故郷に帰る』、『二十四の瞳』、『喜びも悲しみも幾年月』、『楢山節考』、『香華』、『衝動殺人、息子よ』といった大ヒットを次々生み、戦後松竹の屋台骨を支えた。
 三國連太郎、川津祐介、佐田啓二、桂木洋子、岩下志麻、田村高廣ら魅力ある俳優や、小林正樹、松山善三、楠田芳子、山田太一ら才能ある演出家や脚本家を発掘し育てた功績も大きい。  
 長部がたびたび述べているように、「芸術家にして職人にして商売人」なのであった。
 近いタレント性をもつ人間を上げるとしたら、先ごろ亡くなった橋本治じゃなかろうか。

かちんこ


 紙幅の関係もあろうが、木下のプライベートに関する記述が少ないのが伝記としてはやや残念。
 子供時代については丹念に描かれているのだが、監督として功成り遂げてからの私生活がぼかされている感を受ける。
 もっとも、あれほど家族愛の大切さ、素晴らしさを作品で描きながらも、本人自身は結婚に失敗し、養子を育てるのにも失敗した。そのあたりはちゃんと描かれている。

 ソルティが気になったのは、やはり性愛の部分である。
 まず間違いなくゲイであったろう木下は、その部分をどう始末していたのだろうか?
 だれか終生の愛人がいたのか?(晩年に秘書をやってた男?)
 若い男優や役者志望者を喰っていたのか?(今ならさしずめパワハラ)
 一回り年下で、同じく時代の寵児たる三島由紀夫のように、時たま海外に行って羽目を外していたのか?
 あるいは、男同士のうるわしい友情を描いたいくつかの作品同様に、現実でもプラトニック・ラブを貫いたのであろうか?
 同性愛に対する偏見が今よりはるかに強い時代に生きて、木下惠介は自らのセクシュアリティをどう位置付け、どう受けとめ、どう折り合っていたのだろうか?
 このあたりを証言できる人間はもはやいないのだろうか?
 2チャンネルまがいの下卑た詮索のようであるが、木下作品を読み解くうえでゲイセクシュアリティの観点は欠かせないように思うのである。(楽しむぶんには別に関係ないが・・・)

 最後にちょっと長い引用を。
 
 惠介の四十九作目で、不評に終わった『父』が、結局、かれの最後の映画となった。
 それから十年―――。テレビの現場を離れ、映画も撮れずにいた間に、かれの名前は、驚くほどの早さで遠い過去のものになって行った。
 海外における黒澤明と小津安二郎の声価は、高まる一方であるけれど、木下惠介を知る人はごく少数に限られ、国内でもすっかり忘れ去られた観がある。
 かれの映画には、その程度の値打ちしかなかったのだろうか。
 『父』が公開された年から十一年後、築地本願寺で行なわれた木下惠介の葬儀で、弔辞を読んだ山田太一はこう述べた。
 ――日本の社会はある時期から、木下作品を自然に受けとめることができにくい世界に入ってしまったのではないでしょうか。しかし、人間の弱さ、その弱さがもつ美しさ、運命や宿命への畏怖、社会の理不尽に対する怒り、そうしたものにいつまでも日本人が無関心でいられるはずがありません。ある時、木下作品の一作一作がみるみる燦然と輝きはじめ、今まで目を向けられなかったことをいぶかしむような時代がきっとまた来ると思っています・・・・。
 この考えに、筆者は全面的に同意する。

 
 この考えにソルティもまた全面的に同意する。



評価:★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損