日時 2019年10月6日(日) 14時~
会場 すみだトリフォニーホール
指揮 太田弦
曲目:
指揮 太田弦
曲目:
- プロコフィエフ/バレエ音楽『ロメオとジュリエット』
- R.シュトラウス/楽劇『ばらの騎士』
- シベリウス/交響曲第1番
久しぶりの慶応ワグネル。
前回は藤岡幸夫の情熱的な指揮のもと、素晴らしい音楽を紡ぎだし、夢見心地にさせてくれた。
指揮の太田弦は2回目。
前回は年齢層の高い手練れたOBオケとの共演で、タンホイザー序曲とマーラー5番という、いとも艶美なプログラムを均整の取れた精密なスタイルに彫琢していた。
今回は、若い指揮者(94年生まれ)と若いオケのコラボ。
どんな若さが飛び出すだろうか。
太田弦は本年4月に大阪交響楽団正指揮者に就任したとか。
15年間常任指揮者を務め、同オケのレベル&評価アップに貢献した寺岡清高の後任である。
やはり才能が高く買われているのだ。
15年間常任指揮者を務め、同オケのレベル&評価アップに貢献した寺岡清高の後任である。
やはり才能が高く買われているのだ。
・・・と期待大で客席に着いたのだけれど、この日のソルティはアケ(夜勤明け)であった。
仕事を終えた後、サウナに行って汗を流し2時間ほど仮眠をとっただけで、体調は万全とは言えなかった。
なので、音楽にじゅうぶん対峙できたと確言できない。
聴き手側に問題があったのかもしれないことを前もって記しておく。
仕事を終えた後、サウナに行って汗を流し2時間ほど仮眠をとっただけで、体調は万全とは言えなかった。
なので、音楽にじゅうぶん対峙できたと確言できない。
聴き手側に問題があったのかもしれないことを前もって記しておく。
太田弦の指揮はなんとなく「疲れている、迷っている」かのように思えた。
視覚的には颯爽とカッコよく指揮台の上で棒を振っているのだが、目を閉じると音楽に“気”が足りていない。
前回のOBオケとの共演では、舞台から発しられた音波がこちらのチャクラを刺激し、公演中全身の“気”がうごめいた。
蹂躙され、充填された。
今回、発しられた音波はチャクラをノックしてはいるが、侵入する強さを持たなかった。
視覚的には颯爽とカッコよく指揮台の上で棒を振っているのだが、目を閉じると音楽に“気”が足りていない。
前回のOBオケとの共演では、舞台から発しられた音波がこちらのチャクラを刺激し、公演中全身の“気”がうごめいた。
蹂躙され、充填された。
今回、発しられた音波はチャクラをノックしてはいるが、侵入する強さを持たなかった。
一つには、選曲によるのかもしれない。
今回のプログラムの特徴を一言で言えば、「物語性」ということになろう。
1曲目はヴェローナ(伊)を舞台に展開するシェイクスピアの有名な悲劇であり、2曲目は18世紀ウィーンの貴族社会を舞台とするラブコメである。
どちらも男女の機微を描いている。
3曲目のシベリウス交響曲第1番は標題を持たない器楽曲であるが、まぎれもないロマン派で、ひたすら美しく、ひたすら描写し、ひたすら歌う。
1曲目こそ、伝統のワグネルの上手さとそれを操る太田の棒が冴え、迫力あった。
何たって『ロミオとジュリエット』は十代の恋の物語である。
彼らの知っている世界だ。
が、2曲目は難物である。
「若いツバメの幸福な将来のために身を引く、気品ある中年奥方の葛藤と諦念(小柳ルミ子とはベクトルが逆←若い人は知らんよな)」なんてものを、20代のインテリオケ×20代の男性指揮者がよく表現しうるだろうか?
しかも、18世紀ウィーンのロココな香り――すなわちエロスとコケットリーを帯びた優雅さ、貴族社会の華やぎと気品、タイトル通りに薔薇の花の馥郁たる香り――のうちに大人の恋愛模様が表現されなければ、シュトラウス足りえない。
ちょっと負担重しの感あった。
3曲目のシベリウス1番は今回はじめて聴いたが、とんでもなく美しく、たいへんドラマチックな曲である。
ラフマニノフ2番やカリンニコフ1番を思わせる。
その美しさを十全に引き出し、大映ドラマのごとく劇的になり得る肝心なツボを、どうも取り逃がしているように感じた。
「ああ、もったいない」と何度もつぶやいた。
「物語性」を主要テーマに据えるには、若い指揮者×若いオケでは「十年早い」という気がしたのである。
もっとも、和田一樹のように若くとも(若いうちから)「物語性」を得意とする指揮者もいる。
「和田や藤岡が今回のプログラムを振ったら、若いワグネルからでもどれだけの感動を引き出せるだろう?」と思うことたびたびであった。
(和田は過去にリベラル・アンサンブル・オーケストラ共演で「ばらの騎士」を振っている。名演であった)
「物語」を演奏するには、ある程度の人生経験か、あるいは生まれもっての感性(映画監督ならさしずめ木下惠介のような)が必要ではないかと思われる。
太田弦の天性の才は、「物語性」に対する感性とは別口なのではあるまいか。
タンホイザーとマーラー5番という「えらくエロく」語るプログラムを扱った上記のOBオケとの共演では、人生経験豊富なオケが持っている「物語性(世故にたける、とも言う)」が、太田の精密で繊細な指揮とうまい具合に相まって、抑制のきいた美を表出しえたのであろう。
若い指揮者×若いオケで今回のようなプログラムに挑戦するのなら、むしろ難しいことはすべて投げうって、持ち前のパワーと情熱とにまかせてガンガン行くほうが聴衆を圧倒し、感服させるのではないかと思う。
以上、辛口のようだが、ソルティはワグネルも太田も一度聞いて、その真価は確かめている。
次回に期待。
(次回はアケに当たりませんように・・・)
評価:★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損