1955年松竹
92分


伊藤左千夫原作『野菊の墓』を読んだのはかれこれ40年以上前。
澤井信一郎監督&松田聖子主演の映画を見たのは30年以上前。
なので、この作品の肝心の部分を忘れていた。


むろん、悲劇に終わる少年少女(政夫と民子)の初恋物語というのは覚えている。
別の男に嫁いだ民子が若い身空で亡くなってしまう結末も覚えている。
矢切の渡しが舞台だったことも覚えている。
「民さんは野菊のような人だね」という有名な政夫のセリフも覚えている。

忘れてしまったのは、二人が結ばれなかったそもそもの理由である。

明治時代の話だし、身分違いの恋だったのか?
借金のカタに民子は金持ちのぼんぼんに輿入れせざるを得なかった?
それとも、政夫の将来を思って病弱の民子が身を引いたのか?

観てびっくり!
二人は裕福な家のいとこ同士なので、身分違いも金も関係なかった。
二人が結ばれなかった理由、それは民子が政夫より二つ年上である、それだけだったのである。
そんな時代だったのだ。


いやいや、ソルティが原作を読み、松田聖子演じるデコッパチ民子を観た昭和時代もまだ、「女が年上」は口さがないことを言われたものである。
沢田研二の『危険なふたり』のヒットは73年だった。
80年代初頭、プロ野球選手の落合博満が9歳年上の信子夫人の内助の功で三冠王を獲ったあたりから、年上女のイメージが向上したのではなかったろうか。


野菊



ときに、悲劇に終わる初恋物語と言えば、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』である。
両作を比べたときに、日本の十代のなんと晩生で純朴なことか!
ロミオとジュリエットは、出会ったその日に恋に落ちて、翌日結婚して肉体関係を結び、4日目に死んでしまう。
政夫と民子ときた日には、最後の最後まで接吻や抱擁はおろか、手をつなぐこともなかった。
(だから、清純派アイドルだった聖子ちゃんが演じられたのだ)
もっとも、本邦にも八百屋お七(推定15歳)と吉三郎の例があるから、これは時代の違いであろう。

本作の為に選ばれた田中晋二(政夫)と有田紀子(民子)はずぶの素人だから、下手なのはご愛嬌。
かえって、ういういしさが感じられる。
一方、故郷を旅し当時を回想する老いた政夫を演じる笠智衆の下手さはどうしたことか。
政夫の母を演じる杉村春子の突出した上手さとは天と地の開きがある。
この二人を同格の役者に見せた小津安二郎の手腕をつくづく感じた次第。

美しい風景(ロケ地は信州)と丁寧な語り、詩情豊かな佳作である。




評価:★★★


★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損