2014年医学書院

 『驚きの介護民俗学』、『逝かない身体:ALS的日常を生きる』、『居るのはつらいよ』と同様、「ケアをひらく」シリーズの一作。

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 信田さよ子(「のぶた」と読む)の名前だけはあちこちで見かけていたが、著書を読むのははじめて。
 1946年岐阜県生まれの臨床心理士。1995年に原宿カウンセリングセンターを開設し、女性ばかり十数人のカウンセラーを束ねている。アルコール依存症、ドメスティック・バイオレンス、児童虐待などの問題に精力的に取り組んでいる。
 
 本書の何よりの特徴は2部構成になっている点である。
 第1部は「すべて開陳! 私は何を見ているか」と題し、その道四十ウン年のベテランカウンセラーである信田の来歴と、実際のカウンセリング手法が明らかにされる。「ブッダに握拳なし」ではないが、「ここまで手の内をさらけ出していいの?」とつい思ってしまうような職業上のノウハウが、著者の理念や人間観や覚悟とともに述べられる。
 ソルティは同業者ではないけれど、同じ対人援助を生活の糧とする身なので、興味深く、啓発されるところが多かった。
 
権威という力を利用して目の前に座っているクライエントに何かを伝達しようと思った時点で、カウンセラーは敗北していると思う。なぜかと言えば、そこに生まれる支配と依存の関係は、カウンセリングの中心となる「言葉」の力を剥ぐからだ。
 
ソルティ:文中の「カウンセラー」という単語を「介護職」に、「クライエント」という単語を「利用者」と変換すれば、そのまま通用する。

アディクションとは、本人(行為の主体)にとっては問題解決行動の一つなのである。苦しみや痛み、不安などを感じなくできれば、そのあいだだけなんとか息をつき生き延びることができる。医療の枠組みからは「自己治療」と呼ぶこともある。しかし他者(家族・友人)にとってそれは迷惑であり、苦しみを与えられる。このようにアディクションにおいては、行動の主体の認識と、影響を受ける他者の認識とのあいだには大きな落差とずれが生じるのである。

ソルティ:アディクションは、まともに向き合ったら自己崩壊を起こすような、別のもっと深刻な問題に対して、当面の猶予をくれる安全弁となっている。人はだれも多かれ少なかれ何かにアディクトして生きている。他者に迷惑かけない、よりマシなアディクト行為を見つけることが肝要であろう。

クライエントの多くは社会の基準を必要以上に取り入れているからこそ、自責感に満ちて苦しく、その反動である怒りや不安、緊張にさいなまされている。そこからの離脱を促進するためなら、(カウンセラーである私は)オーバーに憤慨したり驚いたりすることもいとわない。ときにはクライエントの語れなかった感情を言語化したりする。私がしばしばカウンセラーらしくないと言われるのは、そのような表現の過剰さゆえかもしれない。(カッコ内はソルティ補足)

ソルティ:「社会の基準」とは別の言葉でいえば「共同幻想」であり「物語」である。人はまず周囲に溢れる「物語」をかなり無自覚に身に着けて(内面化して)、そのあとから、当の「物語」によって自らを掣肘して苦しめる。人間は苦しむ(ことの好きな)葦である。「物語」からの最終的解放が解脱である。

 続く第2部は趣向ががらりと変わる。
 信田は還暦を過ぎたある日、狭心症の発作を起こし、心臓カテーテル検査のため入院することになった。
 第1部がベテラン医療従事者による専門的でお堅い、ある種“冷感症的”語りとすれば、第2部は夫と二人の子どもに恵まれた普通の中年主婦のドキドキワクワクな入院体験記である。信田なりの「美学」にもとづいて私生活に触れられていない第1部とは打って変わって、第2部は私生活オンパレードである。一人の職業人のONとOFFを見るようでもあり、よりうがった見方をするなら、能楽の「中入り」をはさんだ「マエ」と「アト」のようである。つまり、第1部でうまく煙幕をかけられて隠された著者の正体が、第2部で白日の下にさらけ出されたという感じを受ける。
 この対比が面白い。
 と同時に、この仕掛けが、カウンセラーという職業の何たるかを、第1部での著者自身の懇切丁寧な「開陳!」以上に読む者に知らしめる効果を生んでいる。(仕掛けの提案者は編集の白井正明ではなかろうか?)
 
 入院して一患者となった信田は、相部屋を希望する。同室の患者たちや見舞客をはじめ、共用ラウンジで見かける別室の患者たちやその家族・知人、むろん医師や看護師も抜かりなく観察し、「家政婦は見た!」の市原悦子よろしく会話を盗み聞きし、ミス・マープルのごとく推理をたくましゅうし、しばしば見舞いにやって来る一人娘と一緒になって人間寸評(というよりゴシップ)を楽しむ。ラウンジで声をかけてきたダンディな同年代の患者に対し、ちょっとした想像上のアバンチュールを楽しみさえする。
 最初のうちは、「カウンセラーってのは仕事を離れても人間観察癖が抜けないんだなあ。一種の職業病だなあ」と、面白おかしく読んでいた。一流カウンセラーがどのように世間を見ているか、を伝えるのが第2部の主眼なのだろうと思いつつ。
 が、途中ではたと気がついた。
 逆なのだ。
 カウンセラーがどのように世間を見ているか、ではなくて、どのように世間を見る人が良いカウンセラーになるのか、が肝なのであった。
 
 人間への飽くなき好奇心と想像力。
 それあってこそのカウンセラーなのだろう。
 

 
評価:★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損