2018年文藝春秋新書
明治維新が起こって、新政府がまっさきに行ったことの一つが神仏分離であった。これからの日本が目指す祭政一致体制(=天皇が政治上の君主と宗教上の司祭者とを兼ねる)をつくるための最初ののろしであった。
仏と神の切り分けは、1868(慶応4)年3月以降、新政府による法令の布告という形で、矢継ぎ早に実施されていった。1868年10月まで断続的に続けられた一連の12の布告の総称を、神仏分離令と呼んでいる。
神仏分離令は王政復古、祭政一致に基づいて、あくまでも、神と仏を区別するのが目的の法令だった。その内容は神祇官の再興、神社における僧侶の還俗、権現号の廃止、神葬祭への切り替えなどである。
しかし、為政者や神官の中には、この神仏分離を拡大解釈する者が現れた。
拡大解釈――それが廃仏毀釈であった。
本書は、神仏分離令をきっかけに日本各地で巻き起った凄まじい廃仏毀釈の模様を描き出し、その背景にあった要因を探るルポルタージュである。
著者の鵜飼秀徳は、報知新聞社や日経BP(Business Publications)に勤めていたジャーナリストで、同時に京都にある浄土宗正覚寺の副住職としての顔を持つ。まさにこのテーマを追うにうってつけの人物と言えよう。
著者の鵜飼秀徳は、報知新聞社や日経BP(Business Publications)に勤めていたジャーナリストで、同時に京都にある浄土宗正覚寺の副住職としての顔を持つ。まさにこのテーマを追うにうってつけの人物と言えよう。
もちろん、ソルティも日本史の授業で神仏分離・廃仏毀釈は習っていた。
だが、実際のところ、どのような規模でどのような類いの廃仏毀釈が行われたのかは知るところではなかった。
本書を読んで、蛮行とも日本史の汚点とも言って過言ではない仏教抹殺のさまに驚かされた。2001年にアフガニスタンのバーミヤンの大仏(磨崖仏)がウサマ・ビン・ラディン率いるタリバンによって破壊されるという事件があった。世界はこれを非難したけれど、少なくとも日本人にはそれを非難する資格などなかった。明治維新で日本人がやったことは、タリバンに勝るとも劣らない伝統文化と仏教美術の取り返しのつかない大破壊だったのである。

破壊されたバーミヤンの石仏
廃仏毀釈にたいし、新政府は度々、戒める布令を出すが、コントロール不能な状態に陥った。
廃仏毀釈が与えた仏教界への影響は甚大である。多くの仏教建造物、仏像、仏具、経典が灰燼に帰した。廃仏毀釈によって9万あったと推定される寺院は半分の4万5千ほどになった。廃仏毀釈がなければ日本の国宝はゆうに三倍はあったともいわれる。
著者は、比叡山、水戸、薩摩、長州、宮崎、松本、苗木(岐阜県)、隠岐、佐渡、伊勢、東京、奈良、京都の廃仏希釈の実態を調査し、その土地ならではの当時の政治・文化・宗教的背景を読み解きながら、過激な廃仏毀釈に至った要因を探っている。
たとえば、もっとも徹底的に寺院が破却され、1874(明治7)年時点で寺院・僧侶ともにゼロになってしまった薩摩(鹿児島県)の場合、
- ときの藩主であった島津斉彬が国学に傾倒していたこと
- 寺院に使われていた金属(鐘、仏像、仏具など)が軍備拡充と財政上の理由から徴収されたこと
- もともと「外城制度」「郷中教育」という薩摩独自の領内支配システムや武家教育システムがあり、地域の住民と寺との関係が極めて弱かったこと
などを要因として挙げている。結果、現在鹿児島県には仏教由来の国宝、国の重要文化財が一つもないとの由。
知らなかった。
他にも、
知らなかった。
他にも、
- 比叡山延暦寺が長年支配していた大津坂本の日吉神社では神官らが暴動を起こし、社殿に安置されていた仏像や仏具、経典を焼き捨てた。
- 寺がほとんどなくなった宮崎県南部では、いまも葬式の半分が仏式ではなく神式で実施されている。
- 岐阜県東白川村はいまも日本の自治体で唯一「寺のない」村のままで、仏教徒はほとんど存在しない。
- 隠岐では島民が血判状を作り、仏教から神道への改宗を誓った。破却された寺院の鐘や銅鑼は売却され、学校設立のために使われた。
- 伊勢神宮の裏手にあった菩提山神宮寺は、奈良の東大寺や興福寺と並ぶ威容を誇った古代寺院であったが、1869年の明治天皇行幸に際して廃寺となった。三河の漬物商人・角谷大十によって救出された本尊(毘盧遮那仏)は、現在愛知県碧南市の海徳寺にある。(観に行きたいものだ)
- 奈良の興福寺にあった天平時代の仏像の多くが、警官たちが暖をとる為に火にくべられた。あの国宝美少年の阿修羅像も金堂の片隅に無造作に放置された。五重塔はわずか25円(現在価値で10万円)で売り払われた。
- 奈良公園のシカは、すき焼きにされて食べられ、一時期絶滅の危機に瀕した。
・・・・とまあ、面白い(と言ったら不敬、いや罰当たりだが)エピソード満載である。
ソルティは偶像崇拝には興味ないのだが、歴史的&美術的価値の高い仏像や仏教建築の数々が、文明開化のわずか数年に大量破壊されたのは、「なんたる愚!」と嘆息せざるを得ない。
もちろん、破壊を手をこまねいて見ていた者ばかりではなかった。上記の漬物商人のように、心の拠り所となるお寺や仏像を守るために、「寺を焼くなら、私を焼け」と孤軍奮闘した住職や、仏像を密かに持ち出すなど知恵を絞った者のエピソードも紹介されている。
彼らの極楽往生間違いなし。

神仏の使いとされる奈良公園の鹿さん
ソルティは偶像崇拝には興味ないのだが、歴史的&美術的価値の高い仏像や仏教建築の数々が、文明開化のわずか数年に大量破壊されたのは、「なんたる愚!」と嘆息せざるを得ない。
もちろん、破壊を手をこまねいて見ていた者ばかりではなかった。上記の漬物商人のように、心の拠り所となるお寺や仏像を守るために、「寺を焼くなら、私を焼け」と孤軍奮闘した住職や、仏像を密かに持ち出すなど知恵を絞った者のエピソードも紹介されている。
彼らの極楽往生間違いなし。

神仏の使いとされる奈良公園の鹿さん
著者は、神仏分離が極端な廃仏毀釈に至った要因として、次の4つを挙げている。カッコ内ソルティ注釈)
① 権力者の忖度(地域の権力者が明治新政府に媚を売った)
② 富国策のための寺院利用(寺院にある金属の徴収や土地建物の学校への転用)
③ 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性(為政者だけでなく大衆もまた仏教破壊に加わった)
④ 僧侶の堕落
② 富国策のための寺院利用(寺院にある金属の徴収や土地建物の学校への転用)
③ 熱しやすく冷めやすい日本人の民族性(為政者だけでなく大衆もまた仏教破壊に加わった)
④ 僧侶の堕落
僧侶の堕落については、興福寺の例がわかりやすい。
平安時代以降、本地垂迹説に基づき、興福寺は春日大社を配下に収めていた。1868年4月7日に大和国鎮撫総督府より春日大社における権現の廃止命令が下る。すなわち、お寺と神社の支配関係の逆転が決定的となった。
すると、
平安時代以降、本地垂迹説に基づき、興福寺は春日大社を配下に収めていた。1868年4月7日に大和国鎮撫総督府より春日大社における権現の廃止命令が下る。すなわち、お寺と神社の支配関係の逆転が決定的となった。
すると、
4月13日、塔頭の大乗院・一乗院が、連名で鎮撫総督府宛に「復飾(還俗)願い」を提出する。当局からの命令が出される前に、先手を打ったのである。
復飾願いの文言をみると、仏教者としての矜持がまったく感じられない、驚きの内容であった。そこにはこのように書かれている。
「歴史的に興福寺は春日大社と深い関係にあり、社殿の造営から儀式、管理にいたるまで差配してきました。とくに大乗院と一乗院は交替で別当職をつとめてきました。しかしながらこのたびの神仏分離の政府方針を受けて、率先して還俗することとします。そこで、改めて春日大社の神主として奉職させていただき、勤王の道を第一として、尽力させていただきたく――」(著者要約)
本書を読んで思うのは、為政者にせよ、僧侶にせよ、大衆にせよ、いったい日本人にとって仏教とは何なのか、宗教とは何なのか――ということである。
支配者が変わり制度が変われば、こんなに簡単に仏教から神道に鞍替えできる変わり身の早さ、腰の軽さはなんだろう? キリスト教社会の異端尋問の歴史とくらべると、良くも悪くも、「なんと宗教意識の低い、信仰心の薄い民族か」と思わざるを得ない。
これは日本人の現世志向の強さを表しているのか。それとも、お上に弱い国民性を示しているのか。あるいはまた、神と仏の二股かけてどちらに転んでも救われんとする要領の良さの現れなのか。
現職の僧侶である鵜飼は、最後にこう締めくくっている。
一連の調査を終え、私はこうも考える。明治以降も仏教が消滅することなく、今日まで続いてきているのはある意味、廃仏毀釈があったからではないか。これほどまでに多大な犠牲を払ったことは極めて残念なことではあるが。
これまで幕府によって特権を与えられ、一部では堕落もしていた仏教界が、はからずも綱紀粛正を迫られ、規模が適正化するとともに、社会における仏教の役割が明確化されたという「プラスの側面」も、廃仏毀釈にはあったのではないか、と考えるのだ。
現状認識の正確さと問題意識の高さは、やはりジャーナリズムに身を置いて実社会を見てきた人間の面目躍如である。
昨今の葬礼事情を鑑みれば、明治維新ほどではないにせよ、大衆の(大乗)仏教離れは否めない。社会における、あるいは個人における仏教の役割が問われているのは間違いなかろう。
評価:★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損