術後3日め。

 西村京太郎の十津川警部シリーズ『篠ノ井線・姨捨駅 スイッチバックで殺せ』(2013徳間書店、2019双葉社)を読む。

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 推理小説としては箸にも棒にもかからない凡作だが、最後まで読ませてしまうのは、さすが天下のベストセラー作家の技量。
 改行が多く、一文一文が短く、句点が多く、難しい漢字がなく、会話が多い。ストーリーも分かりやすい。赤川次郎と同じ。
 入院中の読み物としては、マンガやこうした軽い小説が良い。頭を使う小難しいものや、深刻なあるいは深遠なテーマを追求したものは、敬遠したい。
 個室だとまた違うのかもしれないが、相部屋は気が散る要素が多すぎるのだ。

 日中は、部屋を共有する4人のもとに、なんやかやと訪れる者がいる。
 家族や友人などの見舞客、医師、ナース、リハビリ職員、栄養士、薬剤師、ソーシャルワーカー、掃除スタッフ。中でもナースは、バイタル測定、オムツ交換、食事の配膳、注射や点滴などの処置、トイレや入浴のための移動介助、そして患者のコール対応・・・と、しゅっちゅう出たり入ったりしている。
 おそらく、日中なら15分に1回、夜間なら1時間に1回、部屋に誰かがやって来ては4人のうちの誰かの用を足していく。
 また、部屋のドアは開けっ放しなので、ロビーやナースステーションの物音や会話やテレビ音声がまんま入ってくる。
 この機会に静かにゆっくり過ごそう、普段読めない大作を読もう、という初めに持っていた野望は見事くずおれた。 
 病院がこんなに騒々しいとは!
 安静を保ちたいなら自宅に限る。

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今日はこんな人まで訪れた!
・・・・いいけどね


 そんな雑多なる騒音の渦の中で、ひとつ気になるものがあった。
 毎朝、朝食が済んで歯みがきを終えて布団の中で一息つくタイミングで、ナースステーションからスタッフが何かを唱和する声が聞こえる。
 言葉はよく聞き取れないのだが、「我はなんたらかんたら、我はなんたりかんたり・・・」と、西洋の教会のミサで耳にするやうな、古めかしい詩文めいている。仕事に入る前に気持ちを整える祈りのようなものか。
「おや、この病院はキリスト教系だったのか?」
 スマホで調べてみたが、そんな感じはなかった。

 朝のミーティングでの日課らしい唱和を連日聞いていたが、ある日、唱和の前に一人のスタッフがこういうのが聞こえた。
「ナイチンゲールなんとか」
「!!」

 スマホで調べて、すぐに分かった。

ナイチンゲール誓詞

 看護師なら知らぬ者はいない、看護学生なら誰でも暗唱した覚えがあろう、有名な詩文だった。
 
ナイチンゲール誓詞とは、現代看護の創始者フローレンス・ナイチンゲールの偉業を讃え、1893年アメリカ合衆国ミシガン州デトロイト市にあるハーパー病院のファーランド看護学校の校長リストラ・グレッターを委員長とする委員会で「ヒポクラテスの誓い」の内容を元に作成されたものである。 (ウィキペディア『ナイチンゲール誓詞』より抜粋)

われはここに集いたる人々の前に厳(おごそ)かに神に誓わんーーー
わが生涯を清く過ごし、わが任務(つとめ)を忠実に尽くさんことを。
われはすべて毒あるもの、害あるものを絶(た)ち、
悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。
われはわが力の限りわが任務の標準(しるし)を高くせんことを努(つと)むべし。
わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事(しじ)のすべて、
わが知り得たる一家の内事(ないじ)のすべて、われは人に洩(も)らさざるべし。
われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧(ささ)げん。


スッキリ (´▽`)ノ

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🎅からのXmasプレゼント(タオルです)


※あとから知ったが、ナイチンゲール誓詞の唱和は日課ではなく、このときたまたま看護実習生が来ていたからであった。