奈良の古代寺院や古墳をめぐる旅をしていたら、小高い丘のふもとに湧き水が流れていた。
透き通った、豊かな清水。
両手で掬って一口飲んでみた。
「うまい!」
甘く、柔らかく、複雑玄妙な味がした。
どこかでカラスが鳴いている。
と、目が覚めた。
カラスと思ったのは、離れた病室から聞こえるエリーゼ(95歳、認知あり、車いす使用)の雄叫びだった。
「だれか~! わたしをトイレへ連れてって~! トイレぇ~!」
入院最終日の朝は、エリーゼの声で起こされた。
朝食後にリハビリ。
リハビリ室に入る際に、スタッフからマスクを手渡された。
インフルエンザ予防である。
聞くと、先年この病院ではインフルエンザが猛威を振るい、病棟隔離があったという。
リハビリ室には外来患者もやって来る。外から運ばれてきたウイルスが、リハビリスタッフを通して病棟に持ち込まれてしまう危険がある。それは、医師や看護師や見舞い客でも同じことだが、とくにリハビリスタッフは患者との接触が距離的にも時間的にも密なので、媒介者になりやすい。
「昨年は、二日間、リハビリ室が閉鎖されたんですよ」とスタッフ。
リハビリから帰ってベッドでうだうだしていたら、隣の患者のところに誰かが見えた気配。腰の骨を折って、夜中に救急で運ばれてきた患者である。
カーテン越しに聞くともなしに聞いていたら、見舞いに来たのは一人息子であった。ソルティの知る限り、初登場である。
(そうか、今日は土曜日だったな。)
そう言えば、奥さんの声をこのところ聴いていない。ソルティがリハビリに行っているか、階下のラウンジでまったり過ごしている間に、おそらく夫を訪ねてきているのだろう、と思っていた。
ところが、大変なことになっていたのである。
奥さんは、夫が入院した五日後に自宅でイレウス(腸閉塞)を起こし、別の病院に運ばれていた。現在、イレウス管を鼻から腸まで挿入した状態で、点滴治療しているらしい。たしかに、見舞いに来るたび、腹痛と強い吐き気を夫相手に訴えていた。
「このあと、おふくろのところにも寄らなければならない」と難儀そうな息子の声。
一方の夫(父親)は、入院費用の支払いの心配と、お茶が飲みたいのにペットボトルを買いに行けないという愚痴ばかり話している。
「なんで、自分のことばかりなんだよ」と苛立ちを隠せない息子。
父と息子の会話は、やはり夫婦のそれ同様に噛み合っておらず、互いの感情は行き違い、意思疎通はうまくいかず、話すほどに空気が重くなっていくのが分かる。
この年の瀬に、両親いっぺんに入院となった一人息子に同情したいはやまやまなれど、電車で1時間弱という町に住んでいながら、彼が父親を見舞ったのは今日が初めて。
正直、もっとたびたび実家の様子を見に来て、母親の負担を軽くしてあげていたら、母親まで入院するハメにはならなかったのではないか・・・と思う。
家族ってむずかしい。
そのあと、担当医師が病室にやって来て、父親の状態を息子に説明していた。
「病態的にはもう起き上がっても問題ないのです。ただ、ご本人に意欲がなく、リハビリが進んでいません。このままだと車椅子になるでしょう。自宅で車椅子で暮らせますか?」
「無理です」と息子。
「そしたら、施設に入ることを検討しなければなりませんね」と医師は言った。
昼食後、入院窓口に行って会計を済ます。
支払いは、松葉杖レンタルのための保証金のみ(4000円)。これは杖返却時に戻ってくる。
治療費はもちろん、食事代もパジャマ代もタオル代もかからなかった。
労災、万歳 \(^o^)/
荷物を取りまとめ、ナースステーションでぬり絵をしているエリーゼに胸の内で「さよなら」を告げ、美しきナースたちに感謝する。
迎えに来た両親とともに、タクシーで病院をあとにした。
約半月ぶりの自宅。
夕食はずっと食べたかったカレーライス。
今夜は、熟睡できそうだ。
透き通った、豊かな清水。
両手で掬って一口飲んでみた。
「うまい!」
甘く、柔らかく、複雑玄妙な味がした。
どこかでカラスが鳴いている。
と、目が覚めた。
カラスと思ったのは、離れた病室から聞こえるエリーゼ(95歳、認知あり、車いす使用)の雄叫びだった。
「だれか~! わたしをトイレへ連れてって~! トイレぇ~!」
入院最終日の朝は、エリーゼの声で起こされた。
朝食後にリハビリ。
リハビリ室に入る際に、スタッフからマスクを手渡された。
インフルエンザ予防である。
聞くと、先年この病院ではインフルエンザが猛威を振るい、病棟隔離があったという。
リハビリ室には外来患者もやって来る。外から運ばれてきたウイルスが、リハビリスタッフを通して病棟に持ち込まれてしまう危険がある。それは、医師や看護師や見舞い客でも同じことだが、とくにリハビリスタッフは患者との接触が距離的にも時間的にも密なので、媒介者になりやすい。
「昨年は、二日間、リハビリ室が閉鎖されたんですよ」とスタッフ。
リハビリから帰ってベッドでうだうだしていたら、隣の患者のところに誰かが見えた気配。腰の骨を折って、夜中に救急で運ばれてきた患者である。
カーテン越しに聞くともなしに聞いていたら、見舞いに来たのは一人息子であった。ソルティの知る限り、初登場である。
(そうか、今日は土曜日だったな。)
そう言えば、奥さんの声をこのところ聴いていない。ソルティがリハビリに行っているか、階下のラウンジでまったり過ごしている間に、おそらく夫を訪ねてきているのだろう、と思っていた。
ところが、大変なことになっていたのである。
奥さんは、夫が入院した五日後に自宅でイレウス(腸閉塞)を起こし、別の病院に運ばれていた。現在、イレウス管を鼻から腸まで挿入した状態で、点滴治療しているらしい。たしかに、見舞いに来るたび、腹痛と強い吐き気を夫相手に訴えていた。
「このあと、おふくろのところにも寄らなければならない」と難儀そうな息子の声。
一方の夫(父親)は、入院費用の支払いの心配と、お茶が飲みたいのにペットボトルを買いに行けないという愚痴ばかり話している。
「なんで、自分のことばかりなんだよ」と苛立ちを隠せない息子。
父と息子の会話は、やはり夫婦のそれ同様に噛み合っておらず、互いの感情は行き違い、意思疎通はうまくいかず、話すほどに空気が重くなっていくのが分かる。
この年の瀬に、両親いっぺんに入院となった一人息子に同情したいはやまやまなれど、電車で1時間弱という町に住んでいながら、彼が父親を見舞ったのは今日が初めて。
正直、もっとたびたび実家の様子を見に来て、母親の負担を軽くしてあげていたら、母親まで入院するハメにはならなかったのではないか・・・と思う。
家族ってむずかしい。
そのあと、担当医師が病室にやって来て、父親の状態を息子に説明していた。
「病態的にはもう起き上がっても問題ないのです。ただ、ご本人に意欲がなく、リハビリが進んでいません。このままだと車椅子になるでしょう。自宅で車椅子で暮らせますか?」
「無理です」と息子。
「そしたら、施設に入ることを検討しなければなりませんね」と医師は言った。
昼食後、入院窓口に行って会計を済ます。
支払いは、松葉杖レンタルのための保証金のみ(4000円)。これは杖返却時に戻ってくる。
治療費はもちろん、食事代もパジャマ代もタオル代もかからなかった。
労災、万歳 \(^o^)/
荷物を取りまとめ、ナースステーションでぬり絵をしているエリーゼに胸の内で「さよなら」を告げ、美しきナースたちに感謝する。
迎えに来た両親とともに、タクシーで病院をあとにした。
約半月ぶりの自宅。
夕食はずっと食べたかったカレーライス。
今夜は、熟睡できそうだ。