1975年近代映画協会製作、ATG配給
132分、カラー

 『雨月物語』『西鶴一代女』『近松物語』などの傑作で世界に名だたる名匠・溝口健二の生涯を描くドキュメンタリー映画。
 監督の新藤兼人はかつて溝口の内弟子であった。
 
 ソルティはずいぶん溝口作品を観てきたつもりでいたが、数えてみたら17作品、全作品の5分の1にも満たない。もっとも、無声映画時代のフィルムは紛失しているものが多く、観ることができないのだが。
 溝口監督は、サイレント時代から、それもヒロインを女優でなく女形が演じていた(衣笠貞之助監督はその一人だった)時代から撮っているのだから、まさに日本映画黎明期を知る一人。その生涯を描いたこのドキュメンタリーは、1950年代黄金期にいたるまでの日本映画の歴史そのものである。(なんたって小山内薫の名前が出てくる!)
 
 在りし日の溝口を語る証言者の顔ぶれにもそれが見事に表れている。
 ソルティがその名を聞いたことのある人だけ挙げても、
 田中絹代、浦辺粂子、入江たか子、香川京子、木暮実千代、山田五十鈴、山路ふみ子、京マチ子、乙羽信子、中村鴈治郎、小沢栄太郎、増村保造、若尾文子、依田義賢、川口松太郎、永田雅一、伊藤大輔、宮川一夫・・・。
 日本映画史に名を刻む錚々たる面子である。香川京子と若尾文子以外はすでに鬼籍に入っている。(そう言えば、京マチ子は今年亡くなった一人だった・・・合掌) 彼 or 彼女らの若き日(溝口映画撮影当時及びドキュメンタリー撮影当時)の姿を見るだけでも楽しい。

雨月物語(京マチ子)
『雨月物語』の森雅之と京マチ子

 
 本作で描かれているように、溝口健二は「ゴテ健」と綽名されたほどの完璧主義者だった。悪く言えば、ワガママで頑固で横暴である。同じタイプでは、沈む太陽にまでNGを出したという伝説がまことしやかに語られる黒澤明が有名である。
 いい悪いは別として、溝口や黒澤のような監督、すなわち、「個人の美学(エゴ)の徹底的な追求を芸術として昇華することを周囲が許してしまうカリスマ性」を持つ監督は、もはや日本には生まれえないだろう。彼らは現代ならさしずめ、パワハラ+モラハラ+セクハラ大王である。
 
 映画監督だけでなく、たとえば指揮者の世界でも同様である。すぐれた指揮者は次々と生まれても、トスカニーニやフルトヴェングラーやカラヤンのような、「音楽が天才ならば、ほかの欠点はどうでもよい」とされるようなカリスマは生まれえないだろう。(メトロポリタン歌劇場の天才指揮者ジェイムズ・レヴァインがホモセクハラで訴えられたのは記憶に新しい)
 
 淋しいような気もするが、これも時の流れである。
 エゴを芸術として昇華する時代はもう終わったのだろう。



評価:★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損