2006年幻冬舎刊行(原作は1980年光文社刊行)
脚色 岩田和博
画  のぞゑのぶひさ

 軍隊用語で「百一」というのは「百回に一回しか真実を言わない奴」、すなわち「嘘つき」のことだそうだ。大西巨人(1916-2014)が25年の歳月をかけて完成させた戦争文学の巨編『神聖喜劇』、およびそれをまた10年の歳月をかけて漫画化した本作もまた、「百一」と言いたい作品である。むろん、「嘘つき」の意ではない。百年に一つの傑作という意味だ。
 ソルティは原作はいまだ読んでいないけれど、漫画にしてこれほど稀なる傑作であるならば、原作は推して知るべし。
 太平洋戦争下の軍隊の話ということは聞きかじっていたけれど、正直、こんな話とは思っていなかった。こんな面白いとは思っていなかった。

 原作を読んでいないのは、その長さと重さと難解さに怖じているからである。全5巻という長さはともかく、重さというのは戦争物だけに気軽には読めないこと、難解さというのは軍隊用語や法律用語の引用が多くて煩わしい感じがしたのと、「神聖」と名うったビッグタイトルから想像されるようにダンテの『神曲』ばりに形而上学的(哲学的あるいは宗教的)なテーマを察したからである。

 漫画化はまさに朗報であった。
 しばらく前に近所の図書館に全6巻揃っているのを見つけて気になっていたが、なかなか借りる決心がつかないでいた。手に取ってみたところ、やはり活字が多い。ポイントも小さい。コミックでこれだけ活字(ネーム)が多いのは、三原順の『はみだしっ子』くらいではなかろうか。老眼厳しい昨今、躊躇は自然である。
 もし骨折して休職中の身でなかったなら、じっくりと腰を据えて時間を気にせず読書できる条件が整っていなかったなら、借りないままでいたかもしれない。読まなかったかもしれない。
 そう考えると、まるで「このコミックに出会うために骨を折った。骨折よ、ありがとう」とさえ思える。それほどの衝撃と感銘と感動を受けた。「魂に斧が打ち込むまれる」という陳腐だけれど滅多に使われることのない表現を思い起こした。

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 1942(昭和17)年1月、召集令状を受けた24歳の新聞社社員東堂太郎は、長崎県対馬要塞の重砲兵聯隊に配属され、新兵として3か月の訓練を受けることになった。
 父親譲りの強い正義感と意志を持つ東堂は、在学中に反戦活動で逮捕された過去を持つ一方、人生と社会に対する虚無感を抱え、自らの生を「滑稽で悲惨」なものと思っていた。曰く、「私はこの戦争で死すべきである」
 東堂はニヒリスティックかつ冷徹な視点で周囲の上官や戦友たちを観察しながらも、聯隊で起こる様々な事件に否応なしに巻き込まれていく。
 
 物語の舞台は戦場ではない。世間から隔離された新兵訓練所である。
 大西巨人の若き日の実体験をもとにしたフィクションなので、主人公の東堂太郎は作者の分身であろう。東堂同様に記憶力に優れていたという大西のことであるから、軍隊生活の細部やおびただしく引用される規則の条文などは正確なものと思われる。東堂の上官や戦友のモデルとなった人物も実在し、いくつかの主要エピソードも実際にあったことと、作者自身があとがきで述べている。

 この作品の魅力は語り尽くせるものではない。
 ソルティがとくに感じた魅力を簡潔に挙げるに留めたい。
 
魅力1 日本社会の縮図たる軍隊とその人間模様
 「上官の命令は絶対」というヒエラルキー、規則づくめで束縛の多い不自由な生活、男ばかりの社会の暴力性、閉鎖集団の中で起こる負のグループダイナミクス(派閥形成、いじめ、差別、日和見主義、傍観者、事なかれ主義、同調圧力、陰口、告げ口、お追従、長いものには巻かれよ・・・)といったあたりは、日本軍に限らず、どこの国のどこの軍隊でも似たり寄ったりであろう。その基盤の上に、「累々たる無責任の体系、厖大な責任不在者の機構」と作者が評した日本の特性=ニッポンイデオロギーが描き出される。

魅力2 記憶力という武器
 上官たちは何かにつけては新兵たちのちょっとした言動のミスを取り上げて、折檻しようとする。それに対抗するために東堂が用いるのは、天才的記憶力と明晰な論理に裏打ちされた弁舌である。彼は、軍関係の法律や規則をことごとく暗記しており、上官の不当な叱責に対し、ひとつひとつ法の条文を根拠として持ち出して論破していく。次々と降りかかる難題を快刀乱麻に解決していく姿は、さながらギリシア神話のヘラクレス、あるいは日本神話のオオクニヌシノミコト、あるいは頓智を武器とする一休さん。読む者は、ぐうの音も出ないほどやり込められた上官たちの姿を見て、快哉の叫びを上げたくなるだろう。

魅力3 軍隊の中の部落差別
 このテーマをここまで正面から描いた小説は他にないのではなかろうか。学歴や収入や職業が物を言う一般社会とは違って、階級こそが物を言う、ある意味「公平な」軍隊組織において、被差別部落出身の兵士はどのように扱われたのか、ソルティの気になっていたテーマであった。ここでもやはり、一兵士の出自は大っぴらに触れてはならない敏感な話題(=タブー)として認識され、出自によって差別することはまかりならんという建前の裏に、一般社会と変わりない差別が存在したことが描き出される。
 東堂と同じ班の冬木照美は、被差別部落出身であることと、執行猶予中の前科(傷害致死)があることによって、隊内で起こった一事件の犯人として濡れ衣を着せられてしまう。これまでの半生で差別を受け続け、世間の不当な仕打ちに慣れっこになっていた冬木は、自らの無実を晴らすために抗弁して闘う気力も手段も持たない。もとから班の中で孤立しがちで、味方も期待できない。
 不正を見逃せない東堂や同じ班の有志たちは、冬木に救いの手を差し伸べる。胸襟を開いて会話し、解決目指してともに闘っていく過程で、冬木は忘れていた勇気と人間に対する信頼を取り戻していく。その姿は『破戒』の主人公瀬川丑松の何倍も雄々しく感動的である。

魅力4 名探偵、東堂太郎
 冬木照美にかけられた疑いを晴らすべく、東堂は事件の詳細を関係者から聞き取り、シャーロック・ホームズばりの推理によって真相を明らかにしていく。東堂は真犯人を追い詰めることはせず、冬木の身を救うのに成功する。ミステリー好きにはたまらないくだりである。(大西巨人は推理小説も書いていたらしい。)

魅力5 友情と成長の物語
 東堂が明らかにしたのは事件の真相と冬木の無実だけではなかった。事件の解明を通じて、冬木という人間の正体をも知ったのである。それは被差別部落出身とか前科者といったレッテルの奥に隠れていた冬木の真実――徹底した平和主義と清廉の魂とであった。
 この作品は、「この世界は無意味で無価値」というニヒリズムに陥っていた東堂太郎が、冬木や仲間との出会いを通して「価値あるもの」を発見していく物語でもある。一青年のビルディングストーリー(成長物語)としても読みうる。
 「人生は無意味だから戦争で死んでもかまわない」と思っていた東堂が、ある決定的なシーンにおいて、規則も論理も思考もニヒリズムも飛び越えて、矢も楯もたまらず、「人のいのちを玩具にするのは止めてください」と(よみがえった冬木とともに)上官に向かって声を上げる場面は全編中の白眉である。

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魅力6 個性的キャラ
 記憶力の怪物たる東堂や清廉の士たる冬木のみならず、魅力的なキャラがあふれている。鬼軍曹にして人間臭い大前田、東堂の理解者で神官の生源寺、薄ノロだけれど正直で心やさしい橋本、無精ひげの万年一等兵村崎(ソルティのお気に入り)などなど。これだけキャラの立ったメンバーが揃って、漫画として面白くないはずがない。
 この小説は、澤井信一郎監督による映画化の話もあったらしい。
 映画にしないのは犯罪と思えるほど、感動的なシーン満載である。
 東堂太郎=菅田将暉、冬木照美=柄本佑ではどうだろう?

 いつの日か、原作にチャレンジしたい。
 もっとも、そのためにまた骨を折るのはゴメンだが。



評価:★★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損