日時 2020年1月19日(日)14時~
会場 東京芸術劇場コンサートホール
指揮 飯守泰次郎
曲目
  • モーツァルト/歌劇『魔笛』序曲
  • ハイドン/交響曲第104番『ロンドン』
  • チャイコフスキー/交響曲第6番『悲愴』

 余裕を見て開演45分前に会場入りし、指定席で充実のプログラムを読んでいたら、気づくと会場はほぼ満席になっていた。新響と本日の曲目の人気を感じた。ハイドンの『ロンドン』はともかく、『魔笛』と『悲愴』はテッパンだ。

新交響248回


 1940年生まれの飯守泰次郎は今年傘寿を迎える。ソルティの親と同世代だ。そう考えると、ステージで2時間立ちっぱなしで棒を振り続けるスタミナと精神力に感服する。
 その長い音楽人生が極めたのは、「作曲家の、そして曲自体の、根本的美点を追求し引き出す演奏」と感じた。すなわち、流麗で洒脱な『魔笛』、美しさと才知あふれる軽妙な『ロンドン』、哀切極まりない『悲愴』が堪能できた。

 中でも、ハイドン(1732-1809)が面白かった。
 ハイドンの交響曲を聴くのはこれが初めてであった。が、「ああ、この作曲家は自分好みだ」と直観した。明るく、諧謔と巧緻にあふれ、美しく、しかも素朴。この『ロンドン』一曲からだけでも、ハイドンがモーツァルトとベートーヴェンという出来の良すぎる息子を持つ「交響曲の父」であることが納得できる。
 山口百恵の『プレイバック PART2』のように、曲の途中で音楽を一時停止しメリハリを生む技巧が実に楽しく、ハイドンという人の「遊び心」を感じた。
 機会あれば、これからどんどん聴いていきたい。

 チャイコの『悲愴』を、彼のホモセクシュアル人生および曲完成2か月後に訪れた謎の死を思いやることなしに聴くことは、ソルティには難しい。毎回聴くたび、思いはそこに到る。
 死因はコレラであるとか、毒殺であるとか、自殺であるとか、真相ははっきり分かっていないのだけれど、チャイコが死を覚悟していたんじゃないかと思ってしまう最大の要因は、まさに白鳥の歌となった『悲愴』の曲調にある。
 こんなに、苦悩と哀切と自己憐憫と希求と陶酔と狂気と諦念とに満ちた交響曲がほかにあるか?
 ソルティの知る限りでは、唯一匹敵するのはマーラーの交響曲9番および10番くらいではなかろうか。(ただしマーラーはゲイではなかった)

チャイコ
チャイコフスキー


 ゲイの自殺率がそうでない人に比べて高いことはよく知られている。同じセクシュアリティの友人知人を持つゲイの人で、自殺した仲間が一人もいないという人を探すのは難しいのではないかとすら思う。ソルティもまた、過去数十年のうちにゲイの友人知人の自死の報に何度か合っている。この年明け早々にも、地方在住の年下の知人の悲しい知らせがあり、「ああ、また一人・・・」と暗澹たる思いがした。彼とはここ20年以上交流はなかったが、若く元気な頃の姿――チャイコ好きのネエさんだった――しか記憶に残っていないだけに、唐突な思いにかられた。
 
 現在、国際的に同性婚合法化の流れがあるが、同性婚を認めている国でのLGBTの自殺率が減少したという調査結果が報告されている。
 たとえば、デンマークとスウェーデンの共同調査によると、「同性愛者の自殺率が46%と大幅に減少。ストレートの自殺率も28%低下」したそうである。因果関係ははっきりと分からないが、アメリカの同種の研究では、「2015年の同性婚合法化以降、10代の自殺率が14%減少」したという。(国内最大のゲイ向けWEBマガジン「ジェンクシー」記事参照)
 これは結局、その社会の寛容度を示している。「(同性と)結婚したいか否か」「現今の結婚制度を認めるか否か」という個人個人の希望や意見や選択は別として、結婚制度が社会的に(法的に)認められているという事実そのものが、LGBT一人一人にとって、あるいは何らかの意味でのマイノリティ(権力弱者)に属する一人一人にとって、決して小さい指標ではないことが察しられる。

 『悲愴』という名曲を残してくれたチャイコフスキーには大大感謝であるけれど、彼が生きた19世紀ロシア社会の寛容性の欠如あってこの曲が生まれたことを思うと、微妙な気持ちに包まれる。

 チャイコの、そして亡くなったゲイの友人知人たちの冥福を祈りつつ、会場を後にした。