1988年原著刊行
1998年岩波文庫(行方照夫訳)

 この本は学生の頃(30年以上前)読んだのだが、すっかり内容を忘れていた。
 重厚なヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の小説群の中では、『ねじの回転』と並んでミステリータッチで面白く、気軽に読むことができる。
 
 主人公の男「わたし」は、100年ほど前に亡くなったアメリカの詩人ジェフリー・アスパンについて研究している。幸運にも、アスパンの恋人だったミス・ボルドーが今も存命しており(幾つだよ!)、ヴェニスで姪とひっそり暮らしていることを知る。
 彼女が所有しているらしいアスパンからの手紙を何としても手に入れたい「わたし」は、一路アメリカからヴェニスに渡り、正体を隠してミス・ボルドーの屋敷に間借りすることに成功する。
 まずは世間知らずの姪と親しくなって、手紙を手に入れようと算段するのだが・・・・。
 
 ネタばれしてしまうと、結局、ミス・ボルドーは亡くなり、相続人となった姪の手によって問題の手紙は焼かれてしまい、「わたし」は意気消沈して帰国することになる。
 本作のテーマは難しいものでなく、芸術家の私生活を(死後100年経ってさえ)暴き出そうとする研究者や評論家などの“出版ゴロ”(今で言うならマスコミ)を揶揄し、滑稽化し、批判するところにあるのだろう。私生活を知られることを極度に嫌い、友人に出した手紙を晩年回収し焼却したというジェイムズならではのテーマである。
「芸術家は作品で勝負している。批評したいなら作品を見よ。それ以外のものに関心を持つな」
 ジェイムズの声が草葉の陰から聞こえるようである。

ヘンリージェイムズ
若き日のヘンリー・ジェイムズ


 ジェイムズには誠にお気の毒だが、隠されれば隠されるほど「何かあるのか?」と勘繰りたくなるのが人の常である。
 そのうえ、曖昧さや難解さを特徴とし、読み手によって解釈の分かれるジェイムズの小説は、どうしたって作品単体では読み解けるものではない。世界中の研究者や評論家が作品解読の手がかりを求めて、ジェイムズの私生活を覗き込もうとするのも無理のない話である。
 結果として、なんとも奇怪なことに(!)、ジェイムズ自身がアスパンと同じ憂き目をみることになった。すなわち、ジェイムズが同性の恋人にあてた手紙が没後80年経って発見され、こちらは焼却されることなく陽の目を見てしまったのである。
 
 アイルランドの作家コルム・トービン(Colm Toibin)が2004年に出版した『マスター(Master)』という小説がそれである。
 邦訳されていないようなので詳しいところは不明だが、ヘンリー・ジェイムズの生涯を描いたその小説の中で、ジェイムズがアメリカの彫刻家ヘンドリック・アンダーソン(1872-1940)宛てに書いた手紙が数十通引用されているという。
 
 ウィキペディア英語版『Hendrik Christian Andersen』によると、次のようなことが分かる。 
  • アンダーソンがヘンリー・ジェイムズに出会ったのは1899年イタリアでのことである。
  • 年齢は30歳近く離れていたが、ジェイムズが亡くなるまで親しい交際が続いていた。
  • ジェイムズの手紙からは、アンダーソンへの熱くたぎるような恋情が窺える。(“曖昧さ”など微塵もない)
  • アンダーソンの誇大妄想チックな作品制作をめぐって、二人の関係は冷え込んだらしい。

 ソルティがハッとしたのは、二人が出会った1899年という年である。
 この直後にジェイムズは代表作の一つ『大使たち』に着手している。50代半ばの独身男がフランスを訪れて、生の歓喜を知る物語である。
 どうだろう! まさにビンゴではないか!

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ジェイムズとアンダーソン(1907年頃)

 50代半ばのジェイムズは、年下の美青年アンダーソンと出会って、おそらく人生最大の恋をした。
 その情熱と喜びと感動とが『大使たち』の主人公ストレザーに投影されている。かつ、後期の大作群を完成させるエネルギーとなった。
 ソルティの勘では、『大使たち』の登場人物の一人、チャドの友人にして芸術家志望のリトル・ビラムのモデルこそは、ヘンドリック・アンダーソンその人であろう。
 『大使たち』の中でもっとも印象的なシーン――そのシーンゆえにストレザーの心は解放されることになる――は、ストレザーとビラム青年がはじめて出会うくだりである。ある美しい夕刻、二人はチャドの立派なマンションで、まるでロミオとジュリエットのようにバルコニーの上と下とで視線をからませて初対面し、一夜をともに過ごす。もしかしたらこれは、ジェイムズとアンダーソンのイタリアでの実際の出会いの再現描写なのではなかろうか。

 ・・・・とまあ、想像をたくましくしているが、こんなふうに作家の私生活の知られざる一面を知ることで、作品に新たな解釈を与えることができる。これもまた読書の楽しみなのである。
 『アスパンの恋文』もまた、30年前に読んだ時とはまったく違う視点から読むことになった。なぜジェイムズが私生活を詮索されるのをあれほど嫌がったか、今なら理解できよう。
 ヘンリーよ、もう100年過ぎたのだから気に病むな。

 『マスター』の一刻も早い邦訳を望む。


ヘンドリック・アンダーソンの作品
Museo Hendrik Christian Andersen (トリップアドバイザー提供)



評価:★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損