2019年新潮社

 一昨年、極めて挑発的かつ刺激的な一冊、『大乗非仏説をこえて 大乗仏教は何のためにあるのか』を世に問うた大竹晋(すすむ)の新著。
 今回も仏教の核心をつく興味深いテーマを掲げてきた。

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筆者は本書において、前近代から近代にかけて得られていた大乗仏教の覚醒体験が記されている、さまざまな悟り体験記を読みとくことによって、日本において伝統的に「悟り」と呼ばれてきた覚醒体験について、おおまかな輪郭を描いてみたいと思っています。(本書「はじめに」より)

 冒頭から周到にも留保がつけられているが、本書で取り上げられるのはあくまでも「大乗仏教の覚醒体験」である。
 つまり、紀元前インドにおいて誕生した原始仏教の覚醒体験や、その後原始教団が分裂することで生まれた部派仏教――かつて小乗仏教と呼ばれていたテーラワーダ(上座部)仏教はこの流れを汲む――における覚醒体験は、本書の守備範囲外である。
 というのも、大竹は大乗仏教と部派仏教以前の覚醒体験を質の異なるものと規定しているのである。
 
部派仏教においては四諦という四つのものを実見して阿羅漢となるのであるが、大乗仏教においては真如という一つのものを実見してブッダとなるのであるとわかる。大乗仏教においては、伝統的に、大乗仏教の覚醒体験は仏教の開祖であるブッダの覚醒体験と同視されてきたが、実のところ、大乗仏教の覚醒体験を、仏教の開祖であるブッダの覚醒体験にまで遡らせることは難しい。

 いきなりの核心ヒット!
 日本トランスパーソナル心理学 / 精神医学会会長である石川勇一が同様のことを書いていたっけ。
 ちなみに、四諦とは、「①苦がある、②苦には原因がある、③苦は滅することができる、④そのための道がある」である。真如とは、法無我すなわち空性のことである。(大竹は空性=仏性としている)
 上記の大竹の見解をそのまま是とするか否か、議論すべきところ多と思うけれど(そして、個人的には非常に追究してほしいテーマではあるけれど)、とりあえず、本書の守備範囲は大乗仏教ということである。そして、「悟り」という言葉が日本語である以上、「悟り」が意味するのは大乗仏教の覚醒体験にほかならない、としている。つまり、「ブッダの悟り」という言い方は自家撞着だ、ということになる。
 これは、ある意味、「目からウロコ」の面白い指摘である。

 では、本書の面白ポイントを紹介しよう。

その1 四十数人の悟り体験記が読める
 ソルティがその名を知る人では、現存最古の悟り体験記を残した禅の祖たる菩提達磨(ボディダルマ)、数々の日本庭園の設計で誉れ高い夢窓疎石、禅画や書の達人でもあった白隠慧鶴、禅の海外普及に尽くした鈴木大拙、「元始、女性は太陽であった」の平塚らいてう、親鸞上人を描いた戯曲『出家とその弟子』の作者倉田百三、筋金入りのマルクス主義者であった河上肇などが含まれている。(大拙は悟っていたのだ!
 意外に思ったのは、これら悟った人たちの帰属宗派は必ずしも禅(曹洞宗、臨済宗)とは限らない。真言宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗、黄檗宗、普化宗、キリスト教徒もいる。

三蔵法師(菩提達磨)はおっしゃった。
「悟らないでいる時は人のほうが真理に迫っていこうとするが、悟る時は真理のほうが人に迫ってくる。悟ってからは心が景色を包んでいるが、迷っているうちは心が景色に包まれている。」

その2 悟りのプロセス抽出
 上記数十名の体験記を分析し共通点を探ることで、下記のような悟りのプロセスを抽出している。
  1. 自他忘失体験・・・自己と他者の隔てを忘失して、ただ心のみとなる体験。(ただし臨済宗においては悟り体験とみなされない)
  2. 真如顕現体験・・・通常の心である“自我の殻”を破って、真如が顕現する体験。しばしば「心が開けた」と表現される。
  3. 自我解消体験・・・真如(法無我)が顕現したことによって、“自我の殻”が解消される体験。しばしば光を見たり一大歓喜を経験する。
  4. 基層転換体験・・・“自我の殻”が解消することによって、存在の基層が従来の基層から転換する体験。しばしば心と体の変化を伴う。(3と4はほぼ同時に起こる)
  5. 叡智獲得体験・・・存在の基層が従来の基層から転換したことによって、かつてない叡智を獲得する体験。しばしば宗教的問題全般が(すべての公案も)解決される。
 この記述を読んでいて、どこかで似たようなものを読んだ記憶が・・・・と、思い当たった。そう、欧米の臨死体験の研究レポート、あるいは脳卒中で左脳の機能を失った医師の手記である。

その3 悟る方法の抽出
 数十名の体験記の修行の共通点を探ることにより、以下のように述べている。
 
悟り体験を得られる修行はどれか特定の修行に限られているわけではない。重要なのは、どの修行を選ぶかではなく、むしろ、公案とひとつになること、疑いとひとつになること、本尊とひとつになること、念仏とひとつになること、題目とひとつになることによって、通常の心である“自我の殻”をなくしていくことであるように思われる。

その4 悟った後の人生いろいろ
 悟った人は坊さんになる(坊さんのままでいる)か、教祖になるか、世を捨て無為自然に暮らすか、本を書いてセミナーを開くか、頭陀袋ひとつで旅に出るか・・・。社会(世間)とは距離を置いて暮らすイメージがある。ましてや、政治活動なんて最もしないことの一つ、と思っていた。
 しかし、たとえば平塚らいてう(1879-1946)は、悟った後に、作家の草野心平と心中未遂を起こしたり、日本で最初の女性による女性のための文芸誌『青鞜』を作ったり、婦人参政権など女性の権利獲得運動や反戦平和活動に邁進している。河上肇(1879-1946)は、『資本論』を翻訳、日本共産党に加入して地下活動に参加、検挙されて入獄している。あるいは、ソルティが本書ではじめてその名を知った井上日召(1886-1967)と来た日には、正真正銘のテロリストである。1932年に右翼団体血盟団を結成し、「一人一殺」主義を掲げ、要人暗殺による国家改造を目論む。戦後は公職追放の憂き目に遭っている。
 彼らの「悟り」は偽物だったのか? それとも、これらの活動もまた叡智のなせる技だったのか?

その5 悟りのトリビア
 以下のような興味深いトピックも取り上げている。

 ● 悟りと異常心理の違い
悟り体験においては歓喜が起こったのちに叡智が獲得されるのであるが、異常心理においてはけたけた笑いなどをもたらす多幸感が起こったのちにむしろ知性が低下するのである

 ● 近現代の曹洞宗は悟り体験を否定していた。
「そのままでいい」「ありのままでいい」という現世肯定は、前近代まで伝統的な仏教において保持されてきた現世否定と、本質的に異なっている。近現代の曹洞宗における宗教学者たちの悟り体験批判は、仏教が従来果たしてきた、現世に拮抗する役割を低下させ、仏教を、単に現世において楽に生きるための道具へと堕落させてしまう危険性をはらんでいる。
 ここはちょっと待ったァ
 前近代までの伝統的仏教の段階で、すでに本覚思想という現世肯定主義があったのではないか? 

 ● 悟りと超能力の関係
 ● 昭和30年代に5日間で悟りを体験できる「早期見性法」がブームとなった。火付け人は曹洞宗の石黒法龍。


 以上のように、硬軟、深浅、取り混ぜたユニークで幅広い「悟り学」入門書となっており、面白く読んだ。
 誰にもどこにも忖度しない自由な立場から、果敢に仏教の核心に切り込んでいく大竹の研究姿勢は、クールかつセクシーである。
 次作は、「悟りと戦争」を題材に考えていると言う。仏教の戦争責任ということだろうか。これまた、「大乗非仏説」と並ぶ戦後仏教界の抱えるタブーでありトラウマであろう。

 最後になるが、大竹は、「(現代は)悟り体験を得ることが難しくなりつつある」と指摘し、その理由をこう述べている。
 
現代においては、前近代や近代に較べ多くの情報に晒され、あるいは多くの情報を発信しているせいで、人が極度に知的になっているからである。

 そのために、「その3」で挙げた悟り体験を得るための方途、「(何かと)ひとつになること」が難しいというのである。
 これには、ソルティ自身、反省することしきりである。
 スマホいじりも、ネットサーフィンも、読書も音楽鑑賞もブログ更新も、ほどほどにしないといかんな。せっかくの骨折休暇だもん。
 光陰矢の如し。2月は逃げる。


67番大興寺本堂
四国67番札所、大興寺本堂


評価:★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損