1988年原著刊行
1991年早川書房(堀茂樹訳)

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 『悪童日記』の続編。
 双子の悪童のうち、地元(ハンガリー)に残ったリュカ少年の15~30歳までのその後が語られる。今回は手記(一人称)ではなく、三人称が用いられている。双子の名前も明かされる。リュカ(RUCAS)とクラウス(CRAUS)である。

 第2次大戦が終わり、ナチスが去り、やっと平和がやってきた。と思ったら、今度は共産主義の大国ソビエトがハンガリーを支配する。
 自由はない。体制に反対する者に対する抑圧、粛清、拷問、処刑が続く中で、人びとはあきらめ、沈滞ムードが蔓延している。
 そのような世相の下、リュカは運命に翻弄される様々な人たちと出会い、関りを持つ。
 実の父親と愛し合いカタワの男児を生んだ少女、ずば抜けた知能と意志を持ちながらも人生に絶望し自害する少年、弟を体制側に虐殺された司書の女、本を書きたいという野心を抱きながらアルコールで破滅する男、体制側のエリートでありながら鬱として楽しまないホモセクシュアルの男、屋敷と女房を失い虚ろな日々を送る不眠症の男・・・。
 次から次へと、数奇で悲惨な運命が語りだされ、不幸のオンパレードのような様相を呈す。

 鋭い人間観察者としてのアゴタ、あるいは想像力豊かな物語作家としてのアゴタの才能を認めるにやぶさかない。
 一方、本書には一片の希望も信仰も救いもなく、明るいところよりも暗いところに好んで目を向けるアゴタの資質を感じる。ショーペンハウワーやエミール・シオランに通じるような悲観主義、ニヒリズム、厭世観。あるいは、世の悲惨を見過ぎたゆえの超現実主義なのか。

 OECD(経済協力開発機構)が発表した「1960年から2016年までの各国の自殺率の推移」というデータを見ると、驚くべきことに、ハンガリーは 2015年まで毎年上位5位までにランク入りしている。1992年までの32年間は、トップ独走である!
 どうやら、ハンガリー人の国民性にもなんらかの手掛かりがありそうだ。(このOECDの動画を見ていると寒気がしてくる。日本と韓国、こんなところで張り合わなくてもいいのに!)

ブタペスト
首都ブタペストとドナウ川

 
 今でこそ知名度は上がったけれど、アゴタ・クリストフはミステリーの女王アガサ・クリスティと間違われたり、パロディと思われたりすることが多かったようだ。
 作風は全然違うのだけれど、この『ふたりの証拠』に限ってはミステリと言ってもいいかもしれない。推理小説で常套的に用いられる二つのトリックが仕掛けられているのである。
 一人二役と叙述トリックである。

 一人二役のほうは、結局、双子の主人公の正体が実は一人の男だったのでは?――という匂わせがある。二人の名前、LUCASとCLAUSが同じ文字を並べ替えただけのアナグラムになっていること、双子には何らかの知的 or 精神疾患のあることが最初から明らかにされていること、二人を同時に目撃している人物が存在しないこと、などが状況証拠となる。
 叙述トリックのほうは・・・・。

 叙述トリックを用いたアガサ・クリスティの有名な作品と言えば、『アクドイロ殺し』である。発表当時、この独創的トリックが「フェアかアンフェアか」で読書界を二分する議論が巻き起こったことはよく知られている。
 ソルティはフェアだと思う。
 種明かしをしてしまえば、「真犯人は物語(手記)の書き手だった」というトリックなのだが、議論の焦点は、「読者が物語の書き手を信用できるか否か」というところにあった。
 アクロイド殺しの真犯人は、犯行にまつわる事柄についての記述は伏せていても、少なくとも嘘は書いていない。読者は、書かれていることについては信用できる。
 一方、『ふたりの証拠』に用いられている叙述トリックは、はっきり言えば「夢落ち」である。読者(ソルティ)が数時間延々読んできた物語のすべてが、悲惨な生涯を背負った登場人物たちすべてが、リュカ(=クラウス)の空想の産物であり、架空の人物だったと匂わせて物語は閉じる。
 読者をコケにしているとしか思われない。
 これはアンフェアだろう。
 


評価:

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損