2006年原著刊行
2015年文藝春秋

 『その女アレックス』、『天国でまた会おう』などで、いまや現代フランスを代表する作家となったピエール・ルメートルのデビュー作。
 原題 Travail soigné は「丁寧な仕事」といった意。

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  もし本国フランスでの発表順どおりに、最初に読んだのがこの『悲しみのイレーヌ』だったならば、ソルティはこの作家の他の作品は読まなかったであろう。
 それくらいイヤミスだった。
 『死刑囚』、『ボックス21』、『三秒間の死角』、『熊と踊れ』のスウェーデン作家アンデシュ・ルースルンド+1 も見事なまでのイヤミス系だが、これにくらべれば天使のウンコだ。
 ピエール・ルメートルのイヤミスぶりは、どうやらお国の怪物作家サド侯爵の流れを汲むような、悪魔主義といった趣さえ感じられる。
 
 映画にもなった『その女アレックス』の残虐ぶりは読んでいて身が痛くなるほどであった。
 が、デビュー作はもっと悪魔的で陰惨、嘔吐を催させる。
 酸鼻極める残虐、容赦ない鬼畜の所業、悪魔が凱歌を上げる結末。
 まったく救いがない。
 ルメートルがおのれの嗜虐趣向(サディズム)を、創作することで昇華していると聞いても、少しも驚かない。(そう言えば、フランス人ってなんとなくSM好きのイメージがある。サドとミッシェル・フーコーのせい?)

 テレビや映画などの映像や、漫画や絵画などの二次元にくらべれば、活字である小説は、画像が直接視覚に映るわけではないので、残虐性は緩和されるのが一般である。
 羅列されている言葉が、読み手の想像力に合わせて脳内でイメージ化され、はじめて画像が結ばれる。衝撃は間接的なものだ。
 しかるに、この『悲しみのイレーヌ』に関しては、すでに活字の段階で結末に進むことを拒否したくなるほどの残酷さ、生理的不快感に満ちている。
 これは映画化してほしくない。(構成上、映画化は不可能と思われるが)

 イヤミスぶりは残虐性だけにあるのではない。
 トリックにもある。
 この小説に使われているメイントリックは、アゴタ・クリストフ著『ふたりの証拠』を思わせるような叙述トリックの一種、言ってみればメタフィクション・トリックである。

メタフィクション(Metafiction)とは、フィクションについてのフィクション、小説というジャンル自体に言及・批評するような小説のこと。

メタフィクションは、それが作り話であるということを意図的に(しばしば自己言及的に)読者に気付かせることで、虚構と現実の関係について問題を提示する。メタフィクションの自己言及の方法には、例えば小説の中にもうひとつの小説について語る小説家を登場させたり、小説の内部で先行作品の引用・批評を行ったり、小説の登場人物を実在の人物や作者と対話させたり、あるいは作者自身を登場人物の一人として作品内に登場させる、といったものがある。
(ウィキペディア『メタフィクション』より抜粋)

 ネタばらしになるので詳細は記さないが、『悲しみのイレーヌ』は、小説の中に別の小説(しかも複数)が登場する非常に凝った構成が特徴である。
 芸術至上主義の純文学の作家やSF作家がこれをやるぶんにはかまわない。が、ミステリーでやられるのは腹が立つ。
 トリックが見抜けなかったから腹が立つのではない。作者にうまいことだまされたから腹が立つのではない。それならむしろ、「天晴!」と素直に称賛もしよう。
 書かれていることをそのまま信じることができなくなるから、作者を根本的に信用できなくなるから、腹が立つのだ。
 アンフェアだ!

 ミステリーの愉しみはやはり、紙面に書かれていることをたよりに、読者が自分なりに頭を働かせて、犯人なりトリックなりを推理し解明していくところにある。
 加えて、紙面に書かれている描写をもとに、主役はじめ登場人物たちを自分なりにイメージ化し、そのキャラクターを楽しむことにある。
 書き手を信じられてこそ、それは可能なのだ。
 その前提を裏切るメタフィクション・トリックは、ソルティには許しがたい暴挙と思える。

 ルメートルの小説を読むことはこの先ないであろう。
 少なくともミステリーは。



おすすめ度 :

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損