2002年光文社
2006年カッパ・ノベルズ
『8・15と3・11 戦後史の死角』、『サマー・アポリカプス』に次いで、3度目の笠井ワールド探訪。
小口の厚さ40ミリ、二段組で700ページを超える大作ミステリー、といったことを差し引いても、この本を読むのはちょっと覚悟がいる。
ギリシア神話、監獄論、性愛論、現象学・・・・等々、ミステリーの解決とはさほど関係のない学術的な話が無駄に多い、つまり衒学的なのである。
同じ衒学ミステリー作家であるヴァン・ダインや京極夏彦と比べても、笠井のミステリーは、より難解で饒舌で哲学的である。
そこが読者を選ぶゆえんであり、また、熱狂的な読者を持つゆえんでもあろう。
たとえば、この小説の登場人物たちがひけらかす煩わしい蘊蓄をすべてとっぱらって推理小説の骨子のみ残すとしたら、ミステリーとしてはかなりつらいものであることが明らかになるだろう。
プロットや推理には杜撰な点が多く、突っ込みどころ満載なのである。
一例を挙げよう。
この小説(連続殺人事件)の舞台となるのは、ギリシアのクレタ島付近に浮かぶミノタウロス島という架空の島である。
ミノタウロスと言えば、古代ミノアの王妃パシパエと牡牛の間にできた牛頭人身の怪物である。
ギリシア神話では、父王ミノスにより迷宮に閉じ込められ、年ごとに少年少女7人ずつの生贄を要求する。
その伝説が色濃く残る島をアメリカの製薬会社の大富豪が購入し、古代ミノアの王宮を模した豪壮な別荘を建てた。
この孤島の館に招かれた10人の男女が次々と謎の死を遂げていく。
要はクリスティ『そして誰もいなくなった』のパロディである。
登場人物たちは、「次の犠牲者は自分かもしれない」と脅えながら、犯人と犯行方法について推理合戦を繰り広げる。生き残っている者の中に真犯人がいる前提で、互いが互いを疑いながら・・・・・。
殺害の一つは館内の密室で行われており、そこから遺体が消失するという謎も含まれる。
四方を海に囲まれた離れ小島の中の閉ざされた部屋、という二重の密室である。
この状況設定から、本格推理小説の定石として、読者が当然有りうべきことと考え、登場する素人探偵たちに最初に検討してほしいと願うのは、館に仕込まれている迷宮の存在であろう。
迷宮が存在するのなら、なにも容疑者を館に招かれた10人だけに絞る必要はない。
もとから島内にいて迷宮に潜んでいる者がいてもおかしくはない。
密室殺人も、「実は部屋の中に迷宮への隠し扉があった」で簡単に解決してしまう。
迷宮の有無の検討と調査は、合理的な推理を展開しようと思うならば、探偵たちにとって必須の手続きとなるはずである。
ミノタウロスと言えば、古代ミノアの王妃パシパエと牡牛の間にできた牛頭人身の怪物である。
ギリシア神話では、父王ミノスにより迷宮に閉じ込められ、年ごとに少年少女7人ずつの生贄を要求する。
その伝説が色濃く残る島をアメリカの製薬会社の大富豪が購入し、古代ミノアの王宮を模した豪壮な別荘を建てた。
この孤島の館に招かれた10人の男女が次々と謎の死を遂げていく。
要はクリスティ『そして誰もいなくなった』のパロディである。
登場人物たちは、「次の犠牲者は自分かもしれない」と脅えながら、犯人と犯行方法について推理合戦を繰り広げる。生き残っている者の中に真犯人がいる前提で、互いが互いを疑いながら・・・・・。
殺害の一つは館内の密室で行われており、そこから遺体が消失するという謎も含まれる。
四方を海に囲まれた離れ小島の中の閉ざされた部屋、という二重の密室である。
この状況設定から、本格推理小説の定石として、読者が当然有りうべきことと考え、登場する素人探偵たちに最初に検討してほしいと願うのは、館に仕込まれている迷宮の存在であろう。
迷宮が存在するのなら、なにも容疑者を館に招かれた10人だけに絞る必要はない。
もとから島内にいて迷宮に潜んでいる者がいてもおかしくはない。
密室殺人も、「実は部屋の中に迷宮への隠し扉があった」で簡単に解決してしまう。
迷宮の有無の検討と調査は、合理的な推理を展開しようと思うならば、探偵たちにとって必須の手続きとなるはずである。
ところが、登場人物たちの誰一人も、迷宮の存在について思いつく様子もなく、口にもしない。
これはあまりにも不自然である。
最終的には、館に迷宮が存在することが明らかとなり、真犯人はまさに迷宮に潜んでいた招待客以外の人物なのであるから、「なんて頭の回らぬ探偵たちだ・・・」と、読み手はあきれざるをえない。
プロット自体に不自然を感じる。
『サマー・アポリカス』でも思ったが、笠井は推理小説としての整合性やリアリティにさほど拘っていないように思われる。
しかしながら、この推理小説としての杜撰さが欠点と思えないところに、まさに笠井ミステリーの真骨頂がある。
その秘密がつまり、衒学による目くらましなのである。
読み手は、幅広い分野における圧倒的な量の知識と、それを支える著者の深い教養、そして哲学性に降伏してしまう。
それも、ヴァン・ダインのように、ただ単に知識をひけらかしてページを稼いでいるのとは違う。
評論家でもある笠井の、自らの人生経験に裏打ちされ、思考によって鍛え抜かれた社会哲学が、作品の基調となっているのである。
その意味で、衒学による目くらましという表現は当たっていない。
むしろ、ミステリーの体裁を借りた哲学書というべきかもしれない。
そしてまた、「杜撰=つまらない」でないことを、笠井ミステリーは教えてくれる。
単純に、すごく面白いのだ。
天才的着想、卓抜な構成力、興味をそそる謎の提供、素人探偵と一緒に推理ゲームに参加する愉しみ、姿恰好が目に浮かぶようなキャラクター描写、巧みな伏線の配置と意外な結末、重厚感・・・・・。
多少のアラは大目に見てしまわざるを得ない魅力にあふれている。
これはあまりにも不自然である。
最終的には、館に迷宮が存在することが明らかとなり、真犯人はまさに迷宮に潜んでいた招待客以外の人物なのであるから、「なんて頭の回らぬ探偵たちだ・・・」と、読み手はあきれざるをえない。
プロット自体に不自然を感じる。
『サマー・アポリカス』でも思ったが、笠井は推理小説としての整合性やリアリティにさほど拘っていないように思われる。
しかしながら、この推理小説としての杜撰さが欠点と思えないところに、まさに笠井ミステリーの真骨頂がある。
その秘密がつまり、衒学による目くらましなのである。
読み手は、幅広い分野における圧倒的な量の知識と、それを支える著者の深い教養、そして哲学性に降伏してしまう。
それも、ヴァン・ダインのように、ただ単に知識をひけらかしてページを稼いでいるのとは違う。
評論家でもある笠井の、自らの人生経験に裏打ちされ、思考によって鍛え抜かれた社会哲学が、作品の基調となっているのである。
その意味で、衒学による目くらましという表現は当たっていない。
むしろ、ミステリーの体裁を借りた哲学書というべきかもしれない。
そしてまた、「杜撰=つまらない」でないことを、笠井ミステリーは教えてくれる。
単純に、すごく面白いのだ。
天才的着想、卓抜な構成力、興味をそそる謎の提供、素人探偵と一緒に推理ゲームに参加する愉しみ、姿恰好が目に浮かぶようなキャラクター描写、巧みな伏線の配置と意外な結末、重厚感・・・・・。
多少のアラは大目に見てしまわざるを得ない魅力にあふれている。
着想の天才性という点でソルティが唸らされた点を挙げる。
ここで言うオイディプス症候群とは、ずばり後天性免疫症候群(エイズ)のことである。
この小説は、エイズ=HIVが「謎の奇病」として世界に出現して間もない時代を背景としている。
HIVの感染経路は3つ――血液感染、性行為感染、母子感染である。
当時、血液感染の中で特に問題となったのは、輸血に用いられる血液製剤の中にHIVが混入し、それにより多くの血友病患者がHIV感染し、エイズを発症して亡くなった事件であった。
日本では薬害エイズ事件として知られるが、世界各地で製薬企業や厚生行政や血友病専門医の無作為責任が問われる裁判が起きた。
一方、性行為感染では、男性同性愛者間でのHIV感染が顕著であり、70年代を通じて高まる一方だったゲイリブの気運の中で、性の自由を謳歌していたゲイコミュニティを直撃した。
この『オイディプス症候群』では、初期のエイズ事情を語るに欠かせない、まさに二つのトピック――血液製剤とゲイセックス――を、一連の殺人事件の動機を構成する要素として取り上げ、見事に融合させている。
しかも、息子を殺された一家族の復讐劇と、HIVを社会転覆の武器として利用するテロリストの陰謀、というレベルの異なる二つの事象を、齟齬することなく並べて物語ることに成功している。
この着想と構成力、そして筆力には脱帽するほかない。
しかも、息子を殺された一家族の復讐劇と、HIVを社会転覆の武器として利用するテロリストの陰謀、というレベルの異なる二つの事象を、齟齬することなく並べて物語ることに成功している。
この着想と構成力、そして筆力には脱帽するほかない。
読んでいて思わず手が止まった箇所がある。
カッパ・ノベルズ版の624ページ。
『弁証法的権力と死』を読んだきみには説明するまでもないことだと思うけど、世界の未来は暗澹としている。反対者や批判者の存在までも否定的契機として内部化し、際限なく膨張し続ける弁証法的権力に世界は遠からず完全に呑みこまれてしまうんだから。
弁証法的権力とは闘うことができない。批判すれば批判するほど、闘えば闘うほど、歴史の終点である完璧な権力の膨張と普遍化を助けてしまうんだから。屈服しても闘争しても結果は同じなんだ。しかしIVは、自己運動する完璧な権力がはじめて直面する異様きわまりない敵だ。IVは闘わない。システムの内部に潜入しシステムが自滅するように仕向けるだけだ。社会にたいしてIVの流行が果たす役割と、生体においてIVが果たす役割には並行性がある。IVに感染してはじめて僕は、弁証法的権力を内側から食い荒らし、ぼろぼろにしてしまう素晴らしい武器を手にすることができたんだ。
IVとあるのは、オイディプス症候群を引き起こすウイルスにつけられた名前であり、つまりHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に当たる。
このセリフの主は、自身IV感染者であり、オイディプス症候群の蔓延による社会混乱と国家権力崩壊を企図するテロリストである。
彼はそのために、相手選ばずの無軌道なセックスを繰り返す。ミノタウロス島で起こる一連の殺人事件の真犯人(の一人)でもある。
「弁証法的権力」の説明から読み手が連想するのは、まさに現在の安倍自民党政権であり、その権力の徹底された先に登場しうる中国のような独裁政権による管理社会であろう。右も左も関係ない。
あたかも笠井は、この小説が書かれた2002年の段階(時の首相は小泉純一郎)で、今の日本の政治状況を予言していたかのようである。
ただし、このテロリストが企図したように、HIVが弁証法的権力を「内側から食い荒らし、ぼろぼろにしてしまう」武器として働いたかと言えば、HIV登場約40年後の現在の世界状況からして、「そんなことはなかった」と結論せざるを得ない。
幸か不幸か、HIVは既存の権力構造に致命的な打撃を与えなかった。(少なくとも、今のところ)
一つには、HIVが先進国では薬によって抑えられて、エイズが慢性病の一種となったがゆえに。
一つには、HIVが先進国ではほぼ性行為でしか感染せず、それは様々な手段で予防できるがゆえに。
一つには、途上国でのHIV流行はメガ・ファーマーと呼ばれる巨大製薬企業の莫大な利益を生むチャンスをつくり、グローバル資本主義に拍車をかける結果となったがゆえに。
また、我が国に限って言えば、HIV拡大防止というもっともな名目で、純潔教育のような特定の倫理を標榜する保守団体と結びつく形で、国家権力による個人の性行動への介入と統制を許してしまったがゆえに。
自由を求める大衆の力の源泉となる性のエネルギーを、国家が管理統制する道を開いてしまったのではないか――というのが、過去20年以上HIVに関する市民活動に携わってきたソルティの偽らざる実感である。
わかりやすい例で言えば、学校現場における性教育の後退やジャンダーフリー・バッシング、それに浮気した家庭持ちのタレントに対するいじめまがいの制裁である。
このセリフの主は、自身IV感染者であり、オイディプス症候群の蔓延による社会混乱と国家権力崩壊を企図するテロリストである。
彼はそのために、相手選ばずの無軌道なセックスを繰り返す。ミノタウロス島で起こる一連の殺人事件の真犯人(の一人)でもある。
「弁証法的権力」の説明から読み手が連想するのは、まさに現在の安倍自民党政権であり、その権力の徹底された先に登場しうる中国のような独裁政権による管理社会であろう。右も左も関係ない。
あたかも笠井は、この小説が書かれた2002年の段階(時の首相は小泉純一郎)で、今の日本の政治状況を予言していたかのようである。
ただし、このテロリストが企図したように、HIVが弁証法的権力を「内側から食い荒らし、ぼろぼろにしてしまう」武器として働いたかと言えば、HIV登場約40年後の現在の世界状況からして、「そんなことはなかった」と結論せざるを得ない。
幸か不幸か、HIVは既存の権力構造に致命的な打撃を与えなかった。(少なくとも、今のところ)
一つには、HIVが先進国では薬によって抑えられて、エイズが慢性病の一種となったがゆえに。
一つには、HIVが先進国ではほぼ性行為でしか感染せず、それは様々な手段で予防できるがゆえに。
一つには、途上国でのHIV流行はメガ・ファーマーと呼ばれる巨大製薬企業の莫大な利益を生むチャンスをつくり、グローバル資本主義に拍車をかける結果となったがゆえに。
また、我が国に限って言えば、HIV拡大防止というもっともな名目で、純潔教育のような特定の倫理を標榜する保守団体と結びつく形で、国家権力による個人の性行動への介入と統制を許してしまったがゆえに。
自由を求める大衆の力の源泉となる性のエネルギーを、国家が管理統制する道を開いてしまったのではないか――というのが、過去20年以上HIVに関する市民活動に携わってきたソルティの偽らざる実感である。
わかりやすい例で言えば、学校現場における性教育の後退やジャンダーフリー・バッシング、それに浮気した家庭持ちのタレントに対するいじめまがいの制裁である。
そしていま、新型コロナウイルス登場である。
現段階で予想して、新型コロナウイルスの社会的影響の大きさは、HIVのそれを凌駕していくのではないかと思われる。
ソルティは安倍政権の終焉をこそ望むけれど、むろんテロには反対である。
このコロナウイルス騒ぎが一刻も早く終息することを望んでいる。
ただ、誰もが当事者とならざるをえないこのウイルスの流行が、どんな社会構造の変化を地球レベルでもたらすことになるのか、人々の意識や行動にどのような影響を及ぼすのか、気になるところではある。
おすすめ度 : ★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損