1956年新潮社
(『千羽鶴』は1952年刊行、続編である『波千鳥』と合本で1956年刊行)
1989年新潮文庫
1989年新潮文庫
大人の男女の愛欲模様を描いた小説である。
が、そこは世界の川端。ドロドロした下世話感はなく、陶器の世界の奥深さや繊細な自然描写をまぶしながら、『源氏物語』を思わせる風雅な一篇に仕立てている。
『源氏』を思わせるのは、主人公菊治がモテ男で、何もしなくとも女が寄ってきて、かまってくれるキャラだからである。くわしい説明はないが、イケメンで金持ちで母性本能をくすぐるのだろう。
菊治の周囲を、年代を異にする数人の女たちが、衛星のようにそれぞれの軌道を交差しながら近づいては離れ、経巡る。
多くの男の読者にしてみれば、うらやましい限りであろう。
『みずうみ』や『眠れる美女』や『片腕』にみる魔界こそ、川端の真骨頂と思っているソルティにとって、正直恬淡とし過ぎて、あまり面白くはなかった。
とりわけ、続編の『波千鳥』は無きにしもがな。
登場人物のうち、二人の女性の造詣が秀逸である。
男がいなければ生きられない手弱女(たおやめ)のような太田夫人。
その太田夫人のコケットリー(媚態)を同性ならではの辛辣な目で見抜き、菊治を守ろうとしつつ、かえって菊治に疎まれる栗本ちか子。
男としての菊治の魅力は、このどちらの女も最終的には拒絶しないところにあるのだろう。
あるいは、拒絶できるほどの執着を持たないところか。
この小説は大映によって二度映画化されている。
最初は1953年。監督は『安城家の舞踏会』の吉村公三郎。
太田夫人 =木暮実千代
栗本ちか子=杉村春子
菊治 =森雅之
二度目は1969年。監督は『妻は告白する』の増村保造。
太田夫人 =若尾文子
栗本ちか子=京マチ子
菊治 =平幹二朗
最初は1953年。監督は『安城家の舞踏会』の吉村公三郎。
太田夫人 =木暮実千代
栗本ちか子=杉村春子
菊治 =森雅之
二度目は1969年。監督は『妻は告白する』の増村保造。
太田夫人 =若尾文子
栗本ちか子=京マチ子
菊治 =平幹二朗
どちらもこれ以上にない魅力的な配役。
機会あれば観てみたい。
おすすめ度 :★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損