2016年インド
102分、ヒンディー語
死期を悟った父親ダヤのたっての希望で、息子ラジーヴは、ダヤをベナレスのガンジス河ほとりにある「解脱の家」に連れて行く。
そこでは死を待つ人々が、祈りや沐浴や闘病や交流の日々を送っていた。
さっそく女性の友人をつくり生活に馴染み、次第に元気になっていくダヤ。
残してきた仕事のことが気になって常に携帯を離さないラジーヴ。
半月が過ぎ、ラジーヴは父親を一人残し、妻と娘の待つ自宅に戻る。
美しい映画である。
インド映画ならではのつややかで賑やかな色彩、明るくさわやかな光。
すべてのショットが映画的輝きに満ちている。
画面を観ていることが、次第に画面の向こうの事物に直接触れていることに変わっていくような、視覚と触覚が連合していくような生々しい感覚は、映画の至福そのものである。
シュバシシュ・ブティアニ監督は、1991年インドのカルカッタ生まれ。
これが長編デビューとなるようだが、傑出した才能はまぎれもない。

ガンジス河(ベナレス)
映画に出てくる解脱の家は、実際にベナレスにある同種の施設をモデルとしたらしい。
ヒンドゥー教徒であるインド人の死生観や葬送の風習がうかがえて興味深い。
ヒンドゥー教もまた、仏教同様、輪廻転生からの解脱を最終目標とするが、映画の中で「魂」という語がたびたび出てくることが示すように、ヒンドゥー教では魂(アートマン)の存在を規定する。
登場人物の一人、解脱の家のマネジャーは言う。
「魂は自分を波だと思っている。でも突然悟るのだ。自分は波でなく海だと」
これはいわゆる梵我一如(アートマン=ブラフマン)を意味しているのだろう。
魂が「大いなるもの」と一体となることを解脱としているのだ。
昨今、スピリチュアル業界で人気を集めている非二元(ノンデュアリティ)もこれに近い。
仏教の解脱とは異なる。
思想的なことはともかく、この映画を観て、またインドに行きたくなった。
30数年前、ガンジスで泳いで水を口にしても何ともなかった。
今やったら無事では済むまい。
水質汚染がひどいし、こちらも若くない。
冗談でなく、死出の旅路になりそう。
おすすめ度 : ★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損