14世紀初頭成立
2019年光文社文庫(現代語訳・佐々木和歌子)
 
 映画『あさき夢みし』を観て原作を読みたいと思い、図書館で検索したところ、昨年10月に新訳が出たばかりだった。
 なんつー、いいタイミングだ!

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 面白いッ!!

 こんな面白い古典文学の存在を知らなかった幾十年が口惜しい。
 実相寺の映画よりも格段に面白い。

 それも当たり前、この日記はいわば、『実録・中世宮廷恋愛スキャンダル』なのである。
 実在の人物、それも天皇や皇后や大臣や高僧や伊勢の斎宮といった、いとやんごとなき方々の、赤裸々な恋愛模様や下半身事情が、実名そのままにすっぱ抜かれている。
 華やかなりしも、奇異にして波乱含みの生涯を送った一人の女性の、色懺悔にも似た暴露本といった感すらある。
 この書が何百年もの間、陽の目を見ずに宮中(宮内庁)の奥に眠らされてきた理由も頷ける。

 主人公・二条は、美貌と教養を兼ね備えた名門の娘。
 幼い時より後深草院(第89代天皇)の手元におかれ、蝶よ花よと育てられた。そこには、二条の母親が後深草院の乳母であり、筆おろしの相手&初恋の人だった事情があった。
 『源氏物語』の若紫よろしく、14歳の時にそれまで父のように慕っていた後深草院(=御所様)に犯されて、男を知る。
 そこからは、紫の上(=若紫)とは真逆の、激しくも目まぐるしい愛欲の修羅道まっしぐら。

●二条の恋愛遍歴
  1. 御所様の子を懐妊。生まれた男児は一年余りで亡くなる。
  2. 初恋の人・西園寺実兼と密会して懐妊。生まれた女児は、御所様には「月足らずで死産」と偽って、実兼のもとに。
  3. 御所様の弟で高名な阿闍梨である「有明の月」の異常な執念に負けて、関係を結ぶ。二人の男児を生む。関係は御所様にばれるも、許しを得る。
  4. 御所様のさしがねで、関白である近衛の大殿に抱かれてしまう。(その様子を御所様は障子の向こうで聞いている)
  5. 御所様の弟で第90代天皇の亀山院に差し出される。(その間、御所様は屏風の向こうで酔っぱらって寝ている)
  6. 28歳にして宮中追放、30歳過ぎて出家。諸国流浪の旅に出る。 
 すなわち、天皇家の三兄弟と関係を持ち、時の関白に身を許し、初恋の男とも切れずにいる。分かっているだけで、一人の女児と三人の男児を生む。うち一人も育てられなかった。

 男たちは、二条が妊娠中だろうが、法要中だろうが、宮中を離れてお寺に籠っていようが、いっさい構わずやって来ては体を迫り、その都度、彼女は流されるままに許してしまう。
 その様子は、現代人の感覚からすれば、魔性の女、淫乱、セックス依存症であり、意地悪に言うなら、都合の良いダッチワイフ、皇室御用達の公衆便所、高級娼婦である。
 凄い古典でしょう?

 奔放な女性の恋愛手記という点では『和泉式部日記』に通じ、宮中の貴族たちの華麗なる生活と風俗を描いたという点では『枕草子』に通じ、おのれを観察する目を持つプライド高い才女のモノローグという点では『蜻蛉日記』に通じる。

 一方、これら平安王朝絵巻と一線を画すのは、背景に漂うデカダンスと虚無感の色合いである。
 ときは鎌倉時代後期。
 武士の世であり、執権北条氏の天下である。
 源頼朝に始まる源氏三代が絶えた後の鎌倉殿(=征夷大将軍)はもとより、京都に住む天皇や関白・摂政も北条氏の監視下に置かれ、実質的な政治権力は持たなかった。

 貴族たちは、有職故実にのっとった決まりきった儀式、詩歌管弦や蹴鞠や贅を凝らした法要などの遊び、正体を失うまでの飲酒とバカ騒ぎ、といった日々を繰り返していた。恋愛や出産もまた、無為と退屈を紛らわすゲームの一つに過ぎなかったのであろう。
 失われた過去の栄華の記憶に生きる中世の皇族や貴族たちの姿がうかがえるのも、この作品の大きな魅力である。

着物ガール


 光文社版には、日本の伝統色を並べたカラーページ、当時の貴族たちの装束イラスト、話の舞台となる京都の図面、登場人物たちの系図や相関図、尼となった二条の旅の足跡を示す日本地図が、付録としてついている。
 内容理解の助けとなり、とても有難い。
 「タイミング、トラブル、ストレス、チャンス」といったカタカナ語を怖れずに使った現代感覚の訳も、たいへん分かりやすく、また親しみやすい。

 映画『あさき夢みし』では、出家後の二条(映画では四条)の姿は、かなり清らかに描かれていた。愛欲と迷いの俗世間を離れ、ひたすらみほとけの道を歩んでいるように見えた。その理想の境地が、二条が出会う一遍上人である。
 原作の二条は、出家してもなお迷い続け、過去の栄華に引きずられ、御所様の面影が片時も離れず、涙を流してばかりいる。さすがに男との関係は書かれていないが、原本には紛失部分があるようなので、もしかしたら出家後もなんらかの色事があったのかもしれない。一遍上人も登場しない。
  
 尼姿になって贅沢を捨て、各地の有名な神社仏閣を参詣する旅に出たところで、煩悩はなかなか消えない。御所様の訃報に駆けつけ、その葬送の車を追って、都大路をどこまでも裸足でかける墨染の姿は、目に浮かぶよう。
 愛に捕らわれた女の姿は、昔も今も変わりない。



おすすめ度 : ★★★★★

★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損