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 2018年求龍堂 

 高島野十郎(1890-1975)の名は、『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』(宮下規久朗・著)で知った。
 日本美術史において、光と闇をモチーフに描いた代表的な画家の一人として触れられていたのである。
 彼が晩年、好んで描いた『月』や『蝋燭』の連作を見ると、確かに、一面の闇の中にぽっかり空いた覗き穴のような満月であるとか、闇を赤錆に染める一本の蝋燭の炎のゆらぎであるとか、これ以上にないシンプルな光と闇の表現が特徴的である。
 
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月(1963年)

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蝋燭(1912-26)


 上述の本の中でこれらの絵の図版を見たとき、そして、高島野十郎が生涯独身を貫き、画壇とも一切関わりを持たず、隠者のような孤高の人生を送ったと知ったとき、さらには、野十郎が非常に仏教に造詣深かったと知ったとき、俄然興味が湧いた。
 
 著者は、1930年生まれのロシア文学研究者。
 大学院生(24歳)の時に40歳年上の野十郎と運命的な出会いを果たし、以後20年以上にわたる交流を続けた。
 ちなみに、野十郎は「やじゅうろう」、著者の名の「浹」は「わたる」と読む。

 『月』や『蝋燭』といった作品に見られるシンプルで静謐な印象から、ソルティはてっきり、仏教は仏教でも、「禅の人」と思ったのである。
 曹洞宗や臨済宗が、野十郎の画風の依拠するところ、彼の精神の礎となるところなのでは?・・・と思った。

 しかるに、この評伝を読み、野十郎の言動や人となりに触れ、また『月』や『蝋燭』以外の若い頃からの彼の作品の図版を見ると、「禅的」とはちょっと違うと思った。

 野十郎は、ゴッホがそうであったように、生前ほとんど無名で、没後に脚光を浴びるようになった。
 ブレイクのきっかけとなったのが、『すいれんの池』という作品であった。


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すいれんの池(1949年)


 この絵は、写実の極みである一方、風景画を超えたなにか過剰なものを観る者に感じさせる。
 なんだろう?
 ソルティは、「曼荼羅だ」と思ったのである。
 池の白蓮一つ一つの中に、周囲の木々の葉一枚一枚の中に、生命の形を借りた仏が宿っている。
 それを画家は見ている。
 実物の絵を見ていないので確言はできないけれど、野十郎の絵は「禅的」というよりも「密教的」なのではないか。
 その視点から見直してみると、『月』を取り巻く深い闇は「無」ではなく、多数の生命が彼方の光(=大日如来)に吸収されていくあの世の光景に思えるし、『蝋燭』のゆらぎはラヴェルの『ボレロ』に合わせて命の輝きを表現するダンサーの舞いのように見えてくる。 
 
 評伝に描かれる野十郎は、まさに明治生まれの頑固一徹で、さらに、世俗に背を向けすべてを芸術に捧げた男の凄みと、脱俗者ならではの飄々とした恬淡さとが、共生する。
 国土開発の60年代後半、野十郎は、団地造営を計画する大手建設会社から、住みなれたアトリエの立ち退きを迫られる。
 建設業者との激しい攻防のくだりは、この本につけられた『過激な隠遁』という、一見矛盾するようなタイトルの意味を、納得せしめるに十分である。
 こういう過激な爺さん、最早日本中のどこを探しても見つかるまい。

 いつか、高島野十郎展に足を運ぶ機会の来たらんことを!



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損