1957年スウェーデン
96分、白黒
いま、アルベール・カミュの小説『ペスト』が売れているらしいが、スウェーデンの巨匠ベルイマン(1918 - 2007)による本作もまた、ペスト(黒死病)が主要モチーフとなっている。
ペスト流行禍における人間の姿と信仰を描いた映画なのである。
時は中世。十字軍遠征から帰還した騎士アントニウスと従者が見たのは、ペストに襲われる郷土の惨状であった。
自らの城への帰路の途上、アントニウスは死の恐怖におびえる様々な人々と出会い、神への信仰が揺らぐ。
そして、彼にもまた死神の手が迫る。
自らの城への帰路の途上、アントニウスは死の恐怖におびえる様々な人々と出会い、神への信仰が揺らぐ。
そして、彼にもまた死神の手が迫る。
死神とのチェス
14世紀にペストが猖獗を極めたという。
まったく凄い死者数である。
人々が、この世の終わりと感じ、天の裁きと嘆いたのも無理はない。
『第七の封印』というタイトルは、新約聖書のヨハネの黙示録から採られているが、キリスト教社会に生きていた当時の人々は、1000年以上前にヨハネが幻視した世界の終末が、「ついに到来した」と思ったことだろう。
格調の高い、印象に強く刻まれる個性的な映像によって、ペストに直面した人々のさまざまな姿が描かれる。
「どうせ死ぬのだから」と、飲めや唄えやの享楽に溺れる者
神にすがり、祈り、懺悔し、自らを鞭打つ人々
神の名において人々を畏怖させ、心を支配する宗教家
信仰を捨てて泥棒になった神父
ペストより女房に逃げられたことを嘆く男
ペストをもたらしたという咎で魔女狩りに遭う若い女性
家族愛に生きる暢気な大道芸人
そして、いままさに書き入れ時の死神
騎士アントニウスは、死神としばしの猶予を狙ってチェスの勝負をする。
「勝負がつくまでは、私のいのちを奪うのを待ってくれ」と。
ゲーテの『ファウスト』が悪魔と取引をして、「この世でもっとも美しい、価値あるもの」を探す旅に出るように、アントニウスは、「神の存在を、存在するならばその意図を」探る旅に出る。
ファウストは最終的に、「時よ、とまれ。お前は美しい」と言い得る瞬間をもち、その魂は悪魔の手をすり抜けて、神のもとへと昇天する。
一方、アントニウスは、家族愛に生きる素朴な芸人一家のうちに癒しと救いを見出すものの、最後には従者や妻ともども死神に連れていかれる。
神に関する彼の問いは未解決のままである。
『ファウスト』では信じられた神と天国の存在が、『第七の封印』では疑問視されている。
時代設定からすると、『第七の封印』は『ファウスト』(15世紀くらい)より前の話であるが、テーマ的には「神の死んだ」現代をこそ描いているのであろう。
ファウストもアントニウスも、つまるところ、「この世に生きること」、「この世で起こること」に“意味”を見出したいのだ。
新型コロナウイルスの出現と、とどまるところ知らない災禍に、現代人が何らかの“意味”を見つけたいと思うように。
“意味”に対する人間の欲求が、神や神話や罰を、宗教を、生みだすのであろう。
“意味”を問わず、無心に生き、無心に死ねる人こそ、幸いである。
おすすめ度 : ★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
全世界でおよそ8500万人、当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2に当たる、約2000万から3000万人が死亡したと推定されている。
伝播したヨーロッパでは1348年から1420年に大流行した。ヨーロッパの全人口の30%から60%が死亡した。イギリスやイタリアのいくつかの街(都市)や村においては、1348年から1400年の間に、人口の70%から80%が死亡した。
(ウィキペディア「ペスト」より抜粋)
まったく凄い死者数である。
人々が、この世の終わりと感じ、天の裁きと嘆いたのも無理はない。
『第七の封印』というタイトルは、新約聖書のヨハネの黙示録から採られているが、キリスト教社会に生きていた当時の人々は、1000年以上前にヨハネが幻視した世界の終末が、「ついに到来した」と思ったことだろう。
格調の高い、印象に強く刻まれる個性的な映像によって、ペストに直面した人々のさまざまな姿が描かれる。
「どうせ死ぬのだから」と、飲めや唄えやの享楽に溺れる者
神にすがり、祈り、懺悔し、自らを鞭打つ人々
神の名において人々を畏怖させ、心を支配する宗教家
信仰を捨てて泥棒になった神父
ペストより女房に逃げられたことを嘆く男
ペストをもたらしたという咎で魔女狩りに遭う若い女性
家族愛に生きる暢気な大道芸人
そして、いままさに書き入れ時の死神
騎士アントニウスは、死神としばしの猶予を狙ってチェスの勝負をする。
「勝負がつくまでは、私のいのちを奪うのを待ってくれ」と。
ゲーテの『ファウスト』が悪魔と取引をして、「この世でもっとも美しい、価値あるもの」を探す旅に出るように、アントニウスは、「神の存在を、存在するならばその意図を」探る旅に出る。
ファウストは最終的に、「時よ、とまれ。お前は美しい」と言い得る瞬間をもち、その魂は悪魔の手をすり抜けて、神のもとへと昇天する。
一方、アントニウスは、家族愛に生きる素朴な芸人一家のうちに癒しと救いを見出すものの、最後には従者や妻ともども死神に連れていかれる。
神に関する彼の問いは未解決のままである。
『ファウスト』では信じられた神と天国の存在が、『第七の封印』では疑問視されている。
時代設定からすると、『第七の封印』は『ファウスト』(15世紀くらい)より前の話であるが、テーマ的には「神の死んだ」現代をこそ描いているのであろう。
ファウストもアントニウスも、つまるところ、「この世に生きること」、「この世で起こること」に“意味”を見出したいのだ。
新型コロナウイルスの出現と、とどまるところ知らない災禍に、現代人が何らかの“意味”を見つけたいと思うように。
“意味”に対する人間の欲求が、神や神話や罰を、宗教を、生みだすのであろう。
“意味”を問わず、無心に生き、無心に死ねる人こそ、幸いである。
おすすめ度 : ★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損