2019年河出書房新社

 在野の民俗研究者である筒井功の新著。
 筒井の本を読むのは、これで10冊目になる。
 もはや立派なツツイスト?
 
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 今回は、日本の近現代史の隅に隠れた12の差別事件のデッサンである。
 うち半分ほどは被差別部落に関わり、残りはアイヌ民族、東北の隠れキリシタン、台湾の原住民であるタイヤル族、貧民集落などである。
  • 皇族来県にあたって、通り道にある貧民集落を警察が焼き払った大分県の的ヶ浜事件(大正11年)
  • 部落解放の手段として行われる糾弾闘争の模範として語り継がれる京都市のオール・ロマンス事件(昭和26年)
 以上2つは以前どこかで読んだことがあり、知っていた。
 それ以外ははじめて知ることばかりで、非常に興味深く、「事実は小説より奇なり」の思いを新たにした。
 とりわけ、
  • 一個人に対する苛烈な糾弾に憤った“一般民”が、近所の部落を集団で襲い報復した群馬県の世良田村事件(大正14年)
  • 関東大震災直後、香川県から来た行商たちが“朝鮮人”と間違われて地域民に虐殺された千葉県の福田村事件(大正12年)
  • 日本の植民地下にあった台湾で、苛酷な支配と侮蔑に憤った原住民タイヤル族が起こした霧社事件(昭和5年)
 以上3つは、その暴力の凄まじさや残虐さや被害の甚大さで衝撃的であった。
 
 これらの事件を描写する著者のスタンスは、必ずしも当事者(=被差別者)べったりではない。
 差別や弾圧に声高に怒りの声を上げるでもなし、差別する側を非難するでもなし、差別される側に同情し肩入れするでもない。
 あくまで中庸なのである。
 残された資料や証言によって分かった事実を、淡々と客観的に、だが事務的にも能面的にも学究的にもならず、描き出している。
 一番最近の事件でもすでに半世紀以上前のことで、ある程度風化され、事件当時の熱や生々しさを失っているということもあろうが、他の著書でも見られるこの“一歩引いたまなざし”こそが、筒井民俗学の特徴であろう。
 
 たとえば、本書の巻末を飾るオール・ロマンス事件。
 これは昭和26年当時、京都市の臨時職員であった杉山清一(ペンネーム)が、雑誌『オール・ロマンス』に発表した『特殊部落』という短編小説がもとで起こった事件である。
 部落解放京都府委員会は、杉山本人や出版社だけでなく、京都市をも糾弾対象にして闘争を繰り広げた。
 結果として、次年度(昭和27年)の京都市の同和対策予算は大幅に増額し、闘争は成功裡に終わる。
 この事件が、その後全国に広がる行政闘争の端緒にして模範と言われるゆえんである。
 
 事件の顛末を淡々と記し、解放運動史における意義を評価する一方、筒井の目は当の『特殊部落』という短編そのものと、著者の杉山清一のその後に向けられる。
 インターネットのおかげで誰でも簡単に読めるようになった『特殊部落』全文を読んで、筒井はその小説の登場人物のほとんどが日本人部落民ではなく朝鮮人であることに奇異な感を抱き、かつ、はたして差別小説と言える次元のものかどうか疑義を呈している。
 そして、事件後市役所を辞職した杉山のその後の失意の人生を、彼の発した呟きによって暗喩しつつ一篇を閉じる。
 「私のことは忘れて下さい、何もかも失ってしまいました」
 
 これまでサンカ猿回し犬神人エタ・非人など差別された人々を調査し描いてきた筒井のスタンスの基を成しているのは、様々な差別事象をめぐってえぐり出される、歴史や風土文化に条件づけられた個人や集団や日本社会の姿への関心であり、差別する側・される側問わず、加害者側・被害者側問わず、そのような不自由な人間存在にたいする哀感なのではなかろうか。
 


四国遍路2 141
四国札所77番道隆寺境内


 筒井は本書「おわりに」でこう記している。
 
書きおわってみて、これらを引き起こしたのは、単なる差別意識というより群集心理ではなかったかとの思いが強く残った。差別が存在する社会であっても、ふだんはそう露骨な形で表面化することは少ない。ところが、何かの拍子に衆をたのんで行動する状態に置かれると、重し蓋がとっぱらわれて、ごく善良な地域住民が残虐な殺人者に一変してしまう。その距離は、どうやらさして遠くはない。ひょっとしたら、それはだれもが簡単に飛び越えられる小さな溝のようなものでありえる。この辺に差別と、それを生みだした人間社会の怖さがあるのではないか。
 
 言うまでもなく、本書の数々の事件を、過去の、人権意識の低かった時代の日本人の過ちと嗤うことはできない。
 各地で見られる新型コロナウイルス感染者や彼らをケアする医療従事者への差別、自粛要請に応じない個人や商店などに対する正義感を振りかざす「自粛警察」の横行ぶり。
 差別と弾圧の事件史は、いまもオンエアである。




おすすめ度 :★★★ 

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損