2019年イギリス、アメリカ
122分
脚本 ジュリアン・フェロウズ

 文字通りの骨(折)休めとコロナ自粛によってあり余った時間、テレビドラマ『ダウントン・アビー』シリーズ1~6(2010~2015年イギリス ITV 放映)を、最初から最後までぶっ通しで観た。
 DVD なんと30枚分である。
 見事にハマった。
 シリーズが終了するまで観るのを待っていた甲斐あった。

 まあ、ハマるのは予期していた。
 ソルティは英国の一昔前の上流階級を描いた物語が好きなのである。
 ジェイン・オースティン、ヘンリー・ジェイムズ、P.G.ウッドハウス、E.M.フォースターなどの小説に出てくる、いわゆる貴族や大地主など有閑階級の優雅な暮らしぶりに憧憬に近いものを抱く。

 どこまでも広がる緑なす田園風景の中にそびえる、豪壮で堅牢な屋敷(いったい何部屋あるのやら?)
 庭師によってこまめに手入れされた、散策や逢引きに恰好な庭園。
 由緒ある調度や工芸品やアートに囲まれた、広々として美しく落ち着いた邸内。
 謹厳実直で頼りになる執事。
 長いテーブルを囲み、下僕の給仕を受けながら、コース料理に舌鼓を打つ紳士淑女たち。
 そこで交わされる洒脱な(ときには緊張に満ちた)会話。
 美しい陶磁器と凝ったお菓子が並ぶ午後のお茶。
 貴族のたしなみたる乗馬や狩りやカードゲーム。
 ベッドメイキングや銀器磨きや主人一家の衣装の手入れやゴシップに精出す階下の使用人たち。
 使用人に用があるとき使われる、館内にめぐらされた呼び鈴の紐。
 e.t.c.
 
 こういったすべてに魅了される。
 きっと前世の一つは、ヴィクトリア女王時代の英国のどこかの田舎屋敷のメイド(笑)で、階上で暮らす人々への強い憧れと嫉妬のうちに亡くなったのだろう。


エッジカム家


午後のお茶



 こうした好みの道具立てが揃っているうえに、さすがシェークスピアのお膝元、演劇大国のイギリスである。
 役者が揃っている。
 元クローリー伯爵夫人を演じる今世紀最高の名女優マギー・スミスの孤高な存在感は言うも愚か。
 彼女の親友であると同時に恰好の論敵たるイザベルを演じるペネロープ・ウィルトンのいぶし銀。
 美しく賢い現伯爵夫人コーラを演じるエリザベス・マクガヴァンの茶目っ気(こんなに魅力的な女優になっていたとは!)。
 未来のダウントン・アビーをその細い肩に背負う長女メアリー役のミシェル・ドッカリーの傲岸なまなざし。
 男運が悪く可哀そうな次女イーディス役のローラ・カーマイケルのモデルのようにエレガントなファッション。
 そしてそして、普段はアメリカにいて「特別出演で」ダウントン・アビーを訪れ、そのたびに嵐を巻き起こすコーラの母親マーサを演じるは、やはり今世紀最高の名女優の一人たるシャーリー・マクレーンである(映画版には登場しない)。
 女優たちの火花を散らす演技合戦と華麗なる衣装対決が全編を通じての見物である。
 
 一方男優では、現クローリー伯爵を演じるヒュー・ボネヴィルの貫禄と人の良さ。
 執事カーソン(=ジム・カーター)のどことなく滑稽な匂いを宿した重厚感。
 伯爵付き従者ベイツ(=ブレンダン・コイル)の一癖も二癖もある複雑なキャラクター。
 そして、ゲイの従僕トーマス・バロー(=ロブ・ジェームズ=コリアー)の屈折した心の表現。
 それぞれ突出した個性が楽しい。

 とりわけ、当時(20世紀初頭)の英国では犯罪者として逮捕された同性愛者を、主要キャラクターの一人として最初から最後まで登場させ描ききったのは、賛辞に値しよう。
 テレビシリーズでは、孤独で陰険なひねくれ者で幸福には程遠いように見えたバローが、このたびの映画では、どうやら恋人らしき(国王の使用人!)を得て、嬉しそうにはにかむ笑顔で終わる。
 “組合”仲間として応援していたので何よりである。

 
レインボウとゲイカップル

 
 これだけたくさんの登場人物を一人一人個性的に描き分け、それぞれの人生に語るべき(視聴者が共感できるような)ドラマを持たせ、登場人物間の愛憎や反目や誤解や支え合いもわかりやすく整理して伝え、その上に、タイタニック号沈没や第一次世界大戦やスペイン風邪流行や貴族階級の没落といった歴史的事件を巧みに盛り込んで物語にメリハリをつけていく。
 脚本の見事さは脱帽のほかない。
 
 ソルティにとって、人生最高のドラマ体験の一つであった。
 骨折った甲斐がある。



おすすめ度 : ★★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損