人生100年と言われる時代、50代半ばで老後のことを考えるのは「早い!」
――という意見もあろうが、体力や気力や精力の衰えは否定しがたく、老いとその先にある死について考える夜もある。
自分がここ数年、老人介護の世界に関わって、さまざまな老いと死を見ているせいもある。
このたびのコロナ騒動で、仕事柄、自らの感染と死をある程度は覚悟しなければならなかったせいもある。
日本人の平均寿命が長くなったからこそ、老後問題が浮上したとも言える。
一昔前なら、いまのソルティの歳で定年を迎え、孫の面倒を見ながら数年の老後を過ごし、七十を迎える前にはあの世に逝っていった。
ソルティが小学生の頃、近所にひい祖母ちゃんはいても、ひい爺ちゃんはいなかった。
老後の不安を軽減するには、貯金や年金の確保、子供や孫と良い関係を作っておく、親戚や近所との普段からのつき合い、地域コミュニティに顔を出しておく、良いケアマネを見つけておく、足腰を鍛えて健康管理する、ボケないように頭や手先を使う作業をする・・・・など、いろいろな用心がある。
だが、より重要なのは心の問題だろう。
淋しさや孤独、人生についての後悔や不全感、退屈や虚しさ、生きがいや自己価値の喪失、ボケることの恐怖、下の世話や着替えを他人に手伝ってもらわなければならない屈辱、死の恐怖・・・こういったものと向き合わなければならない。
経典によると、天神ですらも、老いが心配だったらしい。
その時、一人の天神があり、夜もすでにふけたころ、その勝れた光をもって、くまなくジェータ林を照らしながら、世尊のましますところに到り、世尊を礼拝して、その傍らに坐した。
傍らに坐したその天神は、世尊の御前にあって、偈を説いていった。
われら老いる時なにものか善き
なにものかわれらの安らぎのところぞ
われらにとりて貴重なる宝はなんぞ
なにものか盗人に奪われざるものぞ
その時、世尊もまた、偈を説いて仰せられた。
戒はわれらの老ゆるとき善く
信はわれらの安らぎのところ
智慧はわれらが貴重なる宝
功徳は盗人によりて奪われることなし
(増谷文雄編著、ちくま学芸文庫『阿含経典2』、諸天相応「老い」より)
この言葉に天神は歓喜し、満足して消え去ったという。

さて、前回のガータクイズの答え。
世尊は仰せられた。
( おのれ ) にもひとしき可愛きものなく
( 穀物 ) にもひとしき財宝はなく
( 智慧 ) にもひとしき光明はなく
( 雨 ) こそは最高の湖なり
ちなみに、ソルティの答え。
( 自分 ) にもひとしき可愛きものなく
( 健康 ) にもひとしき財宝はなく
( 真理 ) にもひとしき光明はなく
( 秘湯 ) こそは最高の湖なり

栃木県奥鬼怒の八丁湯