1963 年スウェーデン
82 分、白黒

 『第七の封印』同様、神の沈黙をテーマとする作品。
 ただ、「沈黙がテーマ」と言うと、「神はなぜ黙っているのか?」の追究になる。
 つまり、神の存在を前提としている。
 「天にあって、この世のすべての悲惨を見ているのに、なぜ黙っているのか!?」
 これだと、遠藤周作のテーマと重なる。

 ベルイマンの問いをより正確に表すなら、神の不在がテーマと言うべきだろう。

 神はいるのかいないのか?
 いないのならば、我々の生には何の意味があるのか?
 ただ生まれて、他の生命を食べて、まぐわって子供をつくって、老いて死ぬだけなのか?
 祈ることは無駄な行為なのか?
 
 牧師を主人公とする本作では、信者が集まらずにさびれた教会の様子、信仰を失い懊悩する牧師の姿が、実にリアリティもって細やかに描き出されている。
 牧師の家庭に生まれ育ったベルイマンならではである。
 憶測に過ぎないが、父親との関係がこうした問いかけを生涯発し続ける因となったのかもしれない。

 神なんて、いてもいなくても関係ない。
 生きる意味なんてメンドクサイこと考えないで、欲望に忠実に楽しめばいいじゃん。
 ――と、割り切ってエピキュリアンに生きられないところに、ベルイマンや遠藤周作のジレンマの種(=創作の種)はあるのだろう。

 
パーティー

 
 ストーリーは、ポール・シュナイダー監督の『魂のゆくえ』と酷似している。
 同じ原作をもとにしているか、あるいはシュナイダーが『冬の光』を現代風にリメイクしたのかと思ったのだが、どうも違うらしい。
 結末こそ異なってはいるが、この似方は偶然にしてはちょっと・・・???
 
 神(創造主)などいない。
 我々の生は、そこから脱出するためのジャンピングボード以上の意味はない。
 ――と言い切ってしまう(原始)仏教の、なんと潔く、自立していることか!
 ベルイマンは仏教に出会っていただろうか?
 あるいは、奇跡のコースに。

 ただ、その立場をとった時、もはや芸術創造などできないだろう。
 それはそれで別のジレンマになるやもしれない。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損