1969年
127分、白黒(一部カラー)

 この映画、ずっと気になっていた。
 というのも、おそらくは島崎藤村『破戒』と並んで、部落差別をテーマにした小説としてはもっとも知られていて800万部を超えるベストセラーになった住井すゑの大作『橋のない川』の最初の映画化(2度目は1992年東陽一監督による)である本作が、当の部落解放同盟によって「差別助長映画」と批判されたことを聞いていたからである。
 原作に対するそうした批判は聞いていない――でなければ2度目の映画化などありえなかったろう――ので、今井正監督による本作に、どこか当事者を苛立たせるような、原作と離れたセリフなり演出なり脚色なりがあるのだろうと思った。
 
 ところが、冒頭のクレジットでいきなり驚いた。
 「部落解放同盟中央本部」協力と大きく出ているではないか。
 解放同盟は自ら制作協力したものについて、あとから後悔し、自己批判したのだろうか?
 脚本の段階で、あるいは撮影を終えたラッシュ試写の段階で、「これは差別映画だ」と気づかなかったのだろうか?
 クレジット掲載を取りやめるに間に合わなかったのか?
 ――と、いろいろ考えながら観始めた。
 
 結論から言えば、これは差別を助長する映画ではない。
 どころか、差別の酷さ、理不尽さ、愚昧さを、見世物的にも教条的にもならず人間ドラマとして観る者に伝え得る、質の高い作品に仕上がっている。
 部落出身の主人公・丑松が、出自を隠していたことを周囲にカミングアウトして土下座する、藤村の『破戒』の救い無さにくらぶれば、同じ明治時代を背景とする作品としては、当事者の尊厳と希望とがきちんと描かれている。
 奈良盆地の四季を映したロケや撮影、リアリズムに徹した脚本や演出、役者たちの演技、ひとつの映画芸術として見た場合でも及第点に達し、完成度は高い。
 
 とりわけ、主役一家の祖母・畑中ぬいを演じる北林谷栄と、飲んだくれの荷車引き・永井藤作を演じる伊藤雄之助の演技が、記録に残したいほど素晴らしい!(記録に残って良かった)
 
若い頃から老け役が多く、30代後半で、既に老女役は北林という名称を獲得し、日本を代表するおばあちゃん役者として広く知られた。特に、映画・テレビ共に、田舎の農村・漁村・山村で生活するおばあさんを演ずることが多い。衣装は自前である。盛岡の朝市のおばさんの着物や朝鮮人のおばあさんの古着など、「生活の苦汁」がしみ込み「生活の垢」がついたキモノを集めて愛蔵し、さまざまな役に応じて着なしていた。(ウィキペディア「北林谷栄」より抜粋)


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北林谷栄と伊藤雄之助(間に顔を覗かせるは若き日の長山藍子)

 
 時代は明治の終わりから大正にかけて。
 奈良盆地にある被差別部落・小森に暮らす人々の生活が描き出される。
 明治4年の解放令から40年近くが立つが、まったく旧態依然とした部落差別が続いている。
 地主が田畑を貸してくれない、火事になってもポンプ車が来ない、奉公先が見つからない、子供が学校でいじめを受ける、警察から犯罪の疑いをかけられる・・・等々、さまざまな差別が描かれる。
 
 「なるほどなあ~」と思わされたのは、昔から連綿と続いてきた習慣から、村の人々の間で差別がもはや「空気化」していて、「えった(エタ)は差別されてあたりまえの存在」ということが常識となっている点である。
 少なくとも令和の現在、たとえ差別はなかなか解消せずと言えども、少なくとも、「差別は良くない」、「差別はおかしい」という意識を持たない一般人は少ないだろう。
 つまり、いまの人々は、「差別は良くない」と知っていながら差別する。
 ところが、映画に出てくる村人たちは、そもそも「差別がおかしい」とすら思っていない。
 
 学校で同級生に「えった」となじられた主人公一家の長男・誠太郎は、相手の少年に殴りかかって怪我させる。
 殴った理由を問う男性教師に、誠太郎はなかなか訳を言わず、罰としてバケツを持って廊下に立たされる。
 事情を知った祖母(=北林谷栄)が職員室に駆け付けて、校長相手に涙ながらに談判する。
 「わいが理由を教えます。相手が誠太郎のことを“えった”と言ったからや!」
 すると、男性教師は悪びれもせず不思議そうな顔で問い返す。
 「それだけですか?」 
 
 第一部では、主人公一家の子供たちが通う小学校が舞台となるシーンが多く、部落と“一般地区”の子供たちのやりとりが頻繁に描かれる。
 言うまでもなく、子供は残酷で率直である。
 家庭内での大人たちの差別的言辞を、なんら躊躇することなく、表に出す。
 
 次男・孝二は、同級生の“一般地区”の可愛い少女に恋をする。
 相手も自分にまんざらでもない様子がうかがえる。
 明治天皇が亡くなった折りの夜間の学校集会で、少女は孝二の手を握ってきた。
 有頂天になる孝二。
 しかし後日、少女はこう告げるのだ。
 「部落の人は夜になると蛇みたいに手が冷たくなるというから、確かめてみようと思ったの」
 
 時代が変わって、法律が変わったところで、人々の意識はそう簡単には変わらない。
 ここから長く険しい当事者の闘いが始まる。
 そのスタート地点を描いた一つの作品として、この映画は解放運動史の観点からも、解放同盟がお墨付きを与えた亀井文夫監督のドキュメンタリー映画『人間みな兄弟 部落差別の記録』同様、価値は高いと思う。
 「協力」のクレジットは解放同盟にとって恥でも過ちでもあるまい。 
 



おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損