2011年岩波書店

 部落解放同盟による映画『橋のない川』上映阻止事件について調べていたら、この書に行き当たった。
 著者の黒川みどりの講演を聴いたことがある。ドキュメンタリー映画『人間みな兄弟 部落差別の記録』の上映会に際してであった。日本近現代史を専門とする大学教授で、部落問題についてくわしい人である。

IMG_20200704_163636


 本書は、「戦後における部落問題の変遷を映画作品を通して明らかにしようとする」試みで、題材として取り上げられている映画は以下の通り。
  1.  1947年 木下惠介監督 『破戒』
  2.  1960年 亀井文夫監督 『人間みな兄弟 部落差別の記録
  3.  1962年 市川崑監督 『破戒
  4.  1969年 今井正監督 『 橋のない川 第一部
  5.  1970年 今井正監督 『橋のない川 第二部
  6.  1986年 小池征人監督 『人間の街――大阪・被差別部落』
  7.  1988年 小池征人監督 『家族――部落差別を生きる』
  8.  1992年 東陽一監督 『橋のない川』
 今のところソルティが観ているのはリンクを付けた4作品だけなので、本書での著者の所論についてコメントする立場にはない。
 単なる感想を言えば、たいへん興味深く、面白かった。
 映画評論としても読めるし、部落問題の研究書としても啓発的であるし、マイノリティの解放運動における芸術表現のありようを考えるといった視点からも考えさせられることが多かった。

 3つめの「マイノリティの解放運動における芸術表現のありよう」というのは、たとえば、こういうことである。
 
部落問題の深刻さ、部落外との格差の大きさを強調すればするほど、それは差別の徴表を際だたせることになり、そこからは、被差別部落の作り手と被差別当事者の一致する範囲を超えて、当事者が望まない被差別部落表象が受け手の側に生まれることも十分にありうる。(表題書より引用)
 
 つまり、きびしい差別の現実を深刻に描けば描くほど、当事者に付与されているスティグマ(=マイナスイメージ)を強固にしてしまい、映画を観る非当事者の間に、さらなる差別意識を植えつけてしまうリスクがある、ということだ。
 基本的にはこれが、解放同盟が今井正監督『橋のない川』を批判し、上映阻止行動に走った要因と思われる。

 一方、当事者自身が自ら望むスタイルと内容でもって――たとえば、「ブラック・イズ・ビューティフル!」とか「ゲイプライド!」といったような――自己表現したときに、当事者の自己肯定を高める効果は見逃せないものの、それが果たして社会にどれだけのインパクトを与えられるかというと、いささか心もとない感がある。
 なぜなら、この情報過多&スポンサー重視&刺激追求社会で、少しでも多くの人に視聴してもらい、感情を揺り動かし、マイノリティの置かれている現状に関心を持ってもらい、運動を支援してもらうためには、残念ながら、受け手に「ショックを与える」演出が求められるからである。
 とりわけ、なんらかの政治的成果を短期間で得たいならば、メディアに取り上げられ、世論を動かし、政治家が重い腰を上げたくなるような「悲劇的物語」が望まれる傾向がある。
 
 これはなにも部落問題に限ることなく、障害者、LGBT、在日外国人、アイヌ、HIV感染者、ハンセン病患者などマイノリティ全般に共通する解放運動上のジレンマと言えよう。 
 本書の副題にある「自画像と他者像」とはそういった意味合いと思われる。
 当事者自身が望んで描く「自画像」と、多くの非当事者からなる社会が期待しイメージする「マイノリティ像(=他者像)」との間には、少なからぬギャップがあるのだ。

 そこで、老獪なる運動家であるほど、ぬらりくらりとした戦略をとる。
 ある政治的局面では、社会が望む「他者像」をとりあえず肯定し、自らもそのように振舞い、余人の注意を引きつける。別の局面では、社会から押し付けられる「他者像」を否定し、自ら望む「自画像」を訴え出る。
 よっぽど当事者のスティグマを強化しそうに個人的には思われる1960年『人間みな兄弟 部落差別の記録』が解放同盟のお墨付きを受けたのに、それよりもずっとソフトな内容と思われる1969、70年の今井正版『橋のない川』が同団体から批判の矢を浴びたのは、そういった時代・政治的背景や当事者の権利意識や自己表現力の向上といった点を考慮に入れる必要があるのだろう。
 
 いずれにせよ、芸術作品というものは、作った人間の意図を離れて、時代や地域や文化や大衆の意識の変化などに応じて、様々に評価され、様々に解釈され、様々に翻案・脚色・編集・演出され、新しい命を与えられる。
 それが芸術作品の宿命であり、特権なのだ。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損