1974年ドイツ
 109分

 原題は Jeder für sich und Gott gegen alle
 訳すのが難しい。
 直訳すると、「自身のためのそれぞれと、すべての人のための神」
 映画の内容から意訳するなら、「万人のための神は、個人個人を救わない」か。

 舞台は19世紀前半のドイツ。
 といっても、1871年に一つの国として統一される以前の、35の君主国と4つ自由都市からなる「ドイツ連邦」の時代である。
 その中の一つバイエルン王国(あのヴィスコンティの映画で有名な狂王ルードヴィッヒ2世の国)で、実際に起きた出来事を描いたものである。
 
 1828年5月26日、バイエルン王国ニュルンベルクのウンシュリット広場で、16歳ほどの少年が発見される。身元などいくつか質問をされてもまともに答えられなかったため、少年は衛兵の詰所に連れていかれた。衛兵たちから筆談はどうかと紙と鉛筆を渡された少年は「カスパー・ハウザー」という名前を書いた。
(ウィキペディア「カスパー・ハウザー」より抜粋)


 映画は、長いこと地下牢に監禁されていたカスパーが、何者かによって外に連れ出されるシーンから始まる。
 どうやら、物心つく前からそこにひとり閉じ込められていたらしく、言葉も知らず、人間や動物の姿も外の風景も見たことがなく、鏡をみたこともない。いわば、中身は赤ん坊そのままで、身体だけ大人になったよう。
 文明社会に引っ張り出されたカスパーは、周囲の助けを借りて、遅ればせながら言葉を覚え、礼儀作法を身につけ、読み書きやピアノを弾くこともできるようになり、“人間らしく”なっていく。
 しかるに、どうしても世間に馴染むことができず、混乱は募るばかり。
 ある日、何者かの手によって、カスパーは刺し殺されてしまう。

Kaspar_hauser
カスパー・ハウザーの肖像

 不思議な話である。
 カスパーの正体は、さる高貴な領主一家の捨て子ではないかとか、ナポレオンの隠し子ではないかとか、いろいろな説があるらしく、いまだに真相はわかっていない。なにやら陰謀めいたものが背景にあるらしい。
 ともあれ、映画のテーマは彼の出生の謎を追うことにはなく、赤ん坊のごとき無垢の人間が文明社会と出会ったとき、いったい何が起こるかを描くことにある。
 その意味で、観ていて連想するのは、涙なしには読めないダニエル・キースの傑作『アルジャーノンに花束を』(早川書房発行)である。
 
 監督のヴェルナー・ヘルツォークは、ヴィム・ヴェンダースやファスビンダーらとともに1970年代に世界映画界を席巻したドイツの巨匠で、芸術性とスケールの大きさが特徴であった。
 クラウス・キンスキーを主演にした『アギーレ/神の怒り』(1972)、『ノスフェラトゥ』(1979)、『フィツカラルド』(1982)など、芸術系の旧作映画を専門に上映する単館、いわゆる「名画座」によくかかっていたのを思い出す。
 BGMとしてクラシック音楽を使うのもお決まりで、本作でもモーツァルト『魔笛』のアリアや『アルビノーニのアダージョ』がここぞとばかり流される。今聞くとスノビズムな感が強い(笑)。

 カスパーの文明化に関して興味深いのは、彼が最期まで神という概念をまったく理解できなかった点である。本作でも、教会のミサの最中に気分を悪くし、外に飛び出してしまうシーンが出てくる。
 この拒絶は、自分をこのような悲惨な目に遭わせた神を受け入れ難いというのとは違う。
 そもそも神という存在自体が理解できなかったのである。 
 まるで、人は無垢を失ってはじめて神が必要となる、とでも言っているかのようだ。



おすすめ度 : ★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損