3月から読み始めた、ちくま学芸文庫『阿含経典』全3巻(増谷文雄訳)が読み終わって、今は引き続き、岩波文庫『真理のことば(ダンマパダ)』(中村元訳)を読んでいる。
 毎朝、少しずつ音読している。

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 この音読=声に出して読むという行為が、実に良い効果を持っていることに気づかされた。

 脳科学のほうで、音読は黙読にくらべて脳の活性化に役立つと言う説がある。
 「読む(目で追う)」にプラスして、「耳で聞く」と「口で話す」を同時に行っていて、脳の異なる部分を使用するからである。
 読んで=インプット、話して=アウトプット、聞く=インプット、という繰り返しも良い刺激になるらしい。
 夜間の睡眠で脳がリセットされている朝起きがけにやることが、とくに効果的という。
 
 真偽のほどは分からないが、朝の音読が頭をすっきりさせ、気持ちよい一日のスタートを切るのに役立つことは実感できる。
 とくに、新聞記事とかエロ小説とかではなく、お経のような一般に「ありがたい」とされるものを読むのは、精神的に良い。これに線香でも焚こうものなら、リラックス効果倍増である。鬱の人にもおすすめだ。
 子供の頃、隣家の老人が毎朝読経を欠かさなかった理由が、ようやく分かった。
 たとえ、経の意味内容は十分に理解できていなくとも、それなりの効果はあるのだ。
 そう、「読む」とは元来、「一字一字声に出して言う」ことを意味する。
 
 ソルティの場合、増谷文雄による分かりやすい和訳を読んでいたので、内容も理解しながら読むことができた。
 しかも、お釈迦様の直説(に近い)とされる『阿含経典』を音読することには、思いもかけない利得があった。
 お芝居をやる人が脚本に書いてあるセリフを口にすることで、その人物になりきっていくように、お釈迦様の言葉を口にすることで、あたかも自分がお釈迦様になって比丘や在家信者や神々や悪魔を相手に語っているような気分になれるのである。
 
比丘たちよ、人間は、現在世においても、類をもって集まり、類をもって結合する。劣れる好みを抱くものは、劣れる好みのものと、類をもって集まり、類をもって結合する。すぐれた好みを抱くものは、すぐれた好みのものと、類をもって集まり、類をもって結合するのである。
 
 芝居好きのソルティは、お釈迦様の声と話し方を自分なりに作り上げ、お釈迦様のセリフを言う時は、普段よりも低く響く声音で、ゆっくりと穏やかに語る。悪魔のセリフを言う時は、シューベルトの『魔王』を想像し、耳に心地よいが下心を秘めた誘惑者の調子で語る。
 そんなふうに音読していると、自分がお釈迦様になって悪魔を折伏したような心地さえしてくる。
 お釈迦様になりきることができれば、自然と行住坐臥がそれらしく整ってくる。
 これを「マヤ=アルディス効果」という(笑)。

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王女アルディスを演じる北島マヤ
(美内すずえ『ガラスの仮面』白泉社より)

 
 これにすっかりはまって、引き続き『真理の言葉』を読んでいるのだが、個人的な嗜好に過ぎないのかもしれないが、中村元の訳より増谷文雄の訳のほうが「マヤ=アルディス効果」を得やすいようだ。
 後者の訳(セリフ回し)が、ソルティの想像するお釈迦様キャラに近いからだろう。
 
 今後も、音読を朝の日課にしよう。