2013年現代書館

 一昨年の秋に四国遍路していたときのこと。
 ある札所で、同行していた外国人女性が次のようなマークを見つけ、声を上げた。
 お堂の門の扉に刻まれていたものである。


西山興隆寺ハーケンクロイツ


 地図に普通に載っているお寺のまんじマークだから、「何をいまさら?」と思ったら、彼女は言う。
「お寺のマークとは向きが逆よ。これだとナチスのマークになるじゃない」
 なるほど。確かにお寺のまんじは左向き()がふつうだが、これは右向き()になっている。
 いわゆる、ハーケンクロイツ(鉤十字)と同じ向きだ。
 昨今は外国人遍路や観光客もたくさん来るだろうに、なぜ、わざわざ誤解を受けやすいナチスのマークと同じ向きにするのだろう?
 納経所の人に聞いたが、理由は知らなかった。
 遍路が終わって家に帰ったら調べてみようと思い、そのままになっていた。


ミニ水仙


 その数年前のこと。
 やはりある外国人女性とナチスのホロコーストについて(日本語で)話しているときに、彼女が「スワスティカ」という言葉を口にした。
「スワスティカ? なにそれ?」
「えっ? 知らないの? 有名なナチスのマークのことじゃん」
「ハーケンクロイツのこと?」
「英語ではスワスティカって言うのよ」
「へえ~」
 と、それで終わったが、なにか腑に落ちないものがあった。

 確かに、or マークを意味する「スワスティカ(Swastica)」という言葉は英語辞書に載っている。昔から普通に英単語として使われていたのだろう。
 しかし、ハーケンクロイツ(独)はそのまま、「ハーケンクロイツ」と訳すべきじゃなかろうか?
 なにしろ、そのマークに籠められた思想の特殊性、異常性、歴史的・人類史的意味には、測り知れないものがある。マークのデザインも、他の or マークとは混同されることのないほどに固定化・差別化されている。
 つまり、「ハ-ケンクロイツ」は一つの固有名詞である。
 だから、日本の翻訳家がナチスのマークを「ハーケンクロイツ」と、あるいは直訳して「鉤(ハーケン)十字(クロイツ)」と和訳しているように、英語圏の翻訳者も“Hakenkreuz”と、あるいは直訳して“Fooked Cross(鉤十字)”と英訳するのが適当ではないかと思った。
 英語圏の翻訳者が「寿司」をそのまま Sushi と、「禅」をそのまま Zen と英訳しているのを見れば、外来語をそのままの形で英語に取り入れることに抵抗があるわけではなかろう。
 なぜ、ハーケンクロイツは、「スワスティカ」と訳されたのだろう?  
 この疑問が一瞬浮かびはしたものの、そのままになった。

 今回、この二つの謎を解明すべく図書館の蔵書検索していたら、当たったのがこの本であった。


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 著者の中垣顕實(なかがき・けんじつ)は、1961年生まれ。ニューヨーク在住の浄土宗の僧侶である。
 若かりし頃、海外開教使としてアメリカに赴任した際、お祭りの飾りに普段日本でやっているように菊の花で「」を作ったところ、周囲から「ここでそれを使ったらダメだ」ときつく止められた。それがきっかけとなり、とハーケンクロイツについて研究するようになった。  
 今現在でも、西洋社会で仏教を語る際に、マークを使うのはご法度とされているらしい。
 むろん、アウシュビッツ最大の被害者だったユダヤ民族にとって、マークを目にすることは、平和になった今でも、耐え難い、悪夢のような経験であるだろう。
 たとえ、仏教のマークがナチスのそれとは逆向きで、十字の傾き加減も異なっているとしても・・・。


ハーケンクロイツ
ハーケンクロイツ

善光寺
長野県善光寺の本堂に使われているマーク  


 著者は、仏教における(まんじ)の由来はなにか、どういった意味があるのか、という点から論を開始する。
 『長阿含経』などの古い経典によれば、

 仏の身体に備わっている32種類の特徴で、仏の胸の旋毛がになっている。  

 どうもこれが仏教で or が重要な象徴として使われるようになった端緒のようだ。  
 それが、仏・如来の功徳、吉祥、福徳、幸運、善良を意味するものとなり、「この上ない智慧と慈悲の満たされた真理をさとった仏のシンボル」となった。  
 日本では、左向きのが仏教のマーク、お寺の標識になった。  

 面白いことに、当初は右向きのも使われていた、いや、こちらが正当だったようである。
 諸橋轍次『大漢和辞典』によれば、  

 右旋のは「みぎまんじ」と称し、佛を禮敬するに右旋三匝(さんそう)し、佛の眉間の白毫も右旋婉転(えんてん)す。故にに作り、古来、(ひだりまんじ)に作るは誤なりとなす。  

 それが、639年の則天武后の時代に、中国で(左まんじ)が正式な漢字となり、その後、これが定着した。
 古来、中国の強い影響下にあった日本もそれに準じたのであろう。
 タイムラグを入れても、おそらく8世紀にはもう日本で(左まんじ)が定番となっていたのではないか。
 つまり、8世紀以降に建てられたお寺の建造物や仏像・仏具の装飾に関しては(左まんじ)が普通で、それ以前のものには(みぎまんじ)が残っている可能性がある。
 調べてみると、遍路中に見かけた(右まんじ)を扉に刻んだお寺の開創は642年、はるか昔の飛鳥時代であった。
 建物自体は作り直されていることだろうが、基本的な意匠は引き継がれるのが一般だろう。(右まんじ)の使用は、この創建の古さと関係しているのではなかろうか?
 ついでに想像するに、右利きの人が筆で書くことを考えたとき、(右まんじ)より(左まんじ)のほうが断然書きやすい。そのあたりが中国で(左まんじ)が正式となった理由ではなかろうか。 
 とりあえず、一つめの謎は解明した。

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 ここからは「まんじ」でなく、「スワスティカ」と記す。  
 本書によると、スワスティカの語源はサンスクリット語のスヴァスティカ(svastica)で、「スsu-(良い、健全)」+「アスティasti(存在している)」が合わさったもので、その意味は「幸福、繁栄、福利」だそうである。  
 日本人にとって、スワスティカはなによりも仏教のシンボル、お寺のマークとして認識されているが、実のところ、このマークは仏教以外の宗教でも古くから使われていた。  
 著者の調査によれば、ヒンズー教、ジャイナ教、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター経、アメリカン・インディアンの間でも、そしてなんとユダヤ教!でも、幸運や吉祥や善福をもたらす聖なる印として、スワスティカが(右向き)・(左向き)問わずに使われてきた歴史があり、それを示す建造物や装飾品も残っている。
 そのデザインはそもそも「太陽」を象形しているとの見方が研究者の間で一致している。太陽なら当然、万国共通の恵みである。
 ナチスが登場する直前のアメリカでは、スワスティカそれもナチスと同じ右向きのが幸運のお守りとして流行り、コカ・コーラのデザインやボーイスカウトのバッジや州発行のポストカードに使用されていたというから驚いてしまう。  

 それはいろいろなシンボルの中の一つというものではなく、人類史上において稀なる数千年の歴史を誇り、様々な宗教、様々な国の文化が深く関わる国際的なシンボルなのである。太陽や光を表すシンボルであるから、卍・卐は有史以前の古代から人類に光を与え、人類から尊重され、敬愛されてきたシンボルなのである。  

 さて、スワスティカの歴史的意義を明らかにした著者は、このあとナチスドイツのシンボルであったハーケンクロイツについて探っていく。  
 ここからがむしろ本書の肝であり、ソルティが少なからぬ衝撃を受けたくだりである。  
 著者は、ホロコーストについて調べ、強制収容所を訪問し読経を上げ、ユダヤ教の有名な司教やホロコーストで生き残った被害者にインタビューするなど、頭だけでなく、心と足を使った丹念な取材・研究を重ねていく。被害者の感情に配慮し平和を希求する姿勢は、まさに仏教僧らしい。  

 ヒトラーはナチスの標章を選ぶに際し、党員の間にデザインを公募した。ある歯科医の提出した図案(曲がった鉤をもったスワスティカ)が、ヒトラー自身の腹案と似通っていて、それを訂正し最終決定した。
 ただし、ヒトラー自身はこのマークを「スワスティカ」と呼んだことはなく、もちろん、仏教的含みを持ち込むこともなかった。
 ハーケンクロイツはあくまで、「アーリア人の勝利」と「反ユダヤ人の勝利」を表すシンボルであり、加えて言うならば、それは「クロイツ」、つまりキリスト教徒の闘いを含意していたのである。
 
「鉤の十字架」はキリスト教にとっても古代からの聖なるシンボルであり(ソルティ注:現在の十字架がキリスト教の正式なシンボルとなったのは6世紀以後だそう)、ヒトラーの運動は「鉤の十字架」という新しい十字架のもとでドイツのカトリックとプロテスタントをまとめるものであり、十字架のもとでの聖戦であったという点からも、東洋のスワスティカでは意味をなさないことになる。

 ソルティは不肖ながら、この視点からナチスの運動を考えたことがなかった。
 中世カトリック教会が、神の名のもとに十字軍を結成し、イスラム教徒やカタリ派などの異端カトリックに攻撃を加え殺戮を繰り返したのとまったく同じ論法で、ヒトラー率いるナチスはユダヤ人や共産主義者や同性愛者や障害者を攻撃・殺戮したのである。  
 我々は現在、ヒトラーを人類史上最大の悪人、悪魔の手先としてみなすけれど、ヒトラーの側に立てば、悪いことをしているつもりなど微塵もなく、正義と信仰に裏打ちされた聖戦をしているだけであって、だからこそ、あれだけの「神をも恐れぬ」非人間的行為が可能だったのである。  
 つまり、ナチスの所業をキリスト教文化と切り離して語ることはできない。大東亜戦争時の日本軍の所業を国家神道と切り離して語ることができないのと同様に。


日章旗
旭日旗


 ドイツの宗教家と言えば、何と言ってもプロテスタントを起こしたマルティン・ルターが有名である。
 ヒトラーが音楽家のワグナーに心酔していたことはよく知られているが、ルターのことも熱狂的に信奉していたとのこと。『我が闘争』の中で、「偉大なフリードリッヒ大王と並んで、マルティン・ルターとリチャード・ワグナーが立つ」と述べているそうだ(ソルティ未読)。
 このルターが実は恐るべき反ユダヤ主義者だったのである。
 
 ルターはその著書『ユダヤ人と彼らの嘘について』の中で、ユダヤ人を扱う七通りの方法を述べている。著者の要約をさらにかいつまんでまとめると、
  1.  ユダヤ人のシナゴーグや学校に火を付けろ
  2.  彼らの家を破壊せよ 
  3.  彼らの祈祷書とタルムードの写本を没収せよ
  4.  ラビに教えを説くことを禁じよ
  5.  街道におけるユダヤ人の保護を廃止せよ 
  6.  高利貸しを営むことを禁止せよ
  7.  斧や鎌をもって働かせよ 
 といった調子である。
 ルターは、これらを復讐心からではなく、慈悲の実践として行うべきと説いている。
 まるで、ルターが説いたことを教科書とし、ヒトラーはそれをそのまま実践したかのようではないか。
 ソルティの中で、改革者ルターのイメージが音を立てて崩れていった。


ルター
マルティン・ルター

 ルターは堅固な反ユダヤ主義を代表しているが、彼もまた新約聖書以来、キリスト教の歴史の産物とも言える。ルターはユダヤ人に対する議論を全く独自に開発したのではなく、随所で聖書からの言葉を引用しているように、新旧聖書やそれまでの解釈などを踏まえた上で、彼の立場を語っている。ヒトラーの反ユダヤ主義も突然、出現したものではなく、ドイツの反ユダヤ主義を説いてきたキリスト教の歴史があり、その上で実践されたものである。ルターやヒトラーは正義の「戦士」ともいうべき、男性タイプの勇敢なるキリスト教の流れを汲んでいる。当時のドイツやキリスト教の歴史の中では、反ユダヤ主義は必ずしも悪いことであるとは捉えられていなかったのである。

 要は、ユダヤ教とキリスト教の何世紀にもわたる根深い対立と憎しみの歴史があり、ナチスの蛮行もまたその文脈上に置くことが可能なのだ。
 もしかすると、ユダヤ人以外の西洋人が今もスワスティカを受け入れられない根本的要因は、うしろめたさや罪悪感にあるのかもしれない。  

 ここで、最初に上げた二つ目の疑問の答えが浮上する。
 なぜ、ハーケンクロイツがそのまま「ハーケンクロイツ」と英訳されなかったのか。あるいは、なぜ直訳して「鉤十字」とされなかったのか。わざわざ「スワルティカ」という当たり障りのない訳語をそこにもってきたのはなぜか。
 著者はこう推測する。

この観点からすると、十字架を守るために、意図的にハーケンクロイツの代わりにスワスティカを用いたという推測もあり得ないことではない。

アメリカやイギリスは敵国であるドイツ軍が十字架をもって戦っているということを国民に知らせたくなかったのだろうか。キリスト教徒の多いアメリカ人にとって、キリスト教徒同士が戦っているとわかれば戦意を削ぐことになると考えたのであろうか。

 わりを食ったのがほかならぬ仏教である。

 翻訳者がスワスティカという言葉をそのまま訳語として使ったため、数千年の歴史を持つシンボルが、ヒトラーによって作られたシンボルであると人々に信じさせることとなり、仏教やヒンズー教の聖なるスワスティカが乗っ取られ、西洋社会で冒瀆されるようになった。ハーケンクロイツの名において執行されたホロコーストが、スワスティカの名において執行されたホロコーストにすり替えられており、未だにそれが是正されていない。

 翻訳者にその意志がなかったとしても、ハーケンロイツがスワスティカと訳されたことで、結果的に被害を被ったのは東洋の卍・卐であり、それによって守られたのは十字架であった。


 著者は現在、スワスティカの復権を目して、海外で講演や対談を行ったり、本書の英訳本を出そうとしたり、精力的に活動している様子である。
 ソルティは仏教徒ではあるけれど、マークには、というより仏足石、仏舎利、仏塔、蓮華、五色の旗など如何なるシンボルにもさしたる思い入れは持っていない。形にこだわるのは仏教ではないと思うからである。
 だが、少なくとも、西洋人と話していて、相手がナチスのマークを「スワスティカ」と呼んだら、すかさず「ハーケンクロイツ」と訂正することは今後やっていきたいと思った。


P.S. この原稿を書くにあたっては Word を使用したが、「」はどうやっても打ち出せなかった。ナチスについて研究し論文を書く人たちは不便を強いられていることだろう。 



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
★     読み損、観て損、聴き損