2012年講談社より『けっこう笑えるイギリス人』の表題で発行
2013年講談社文庫
ソルティは比較文化論は面白いと思うのだが、ある一国と日本とをくらべて日本のダメなところをあげつらうような本はあまり好きでない。
とくに、マークス寿子以来、日本とイギリスをくらべて日本および日本人を批判するようなものが多い。
読んでみたら、単純にイギリスを持ち上げ日本を下げているのではでなく、イギリスの良くないところ(不衛生、テロなど暴動が多い、医療システムがうまく機能していない等)、日本の良いところも、しっかりと指摘している。
とくに衛生観念や医療制度に関しては、このたびの世界各国のコロナ事情で判明した通り、日本人のそれは素晴らしいものがある。「日本に比べて、我が国は・・・・」と憤っている外国人(イギリス人含む)だって決して少なくないはずだ。
一方で、コロナに感染した人への風当たりの強さには、やはり日本人独特の陰湿さを感じざるを得ないのも事実である。
いじめや村八分がかくも問題となる背景には、日本社会の同調圧力の強さがある。
それを「島国根性」と理由付けできないのは、同じ島国であるイギリスでは事情が異なるからである。
一言で言えば、英国は「人と違う」ことを評価する国だ。そして日本は「人と同じ」ことを評価する国なのだ。両方とも島国なのに、まるで正反対なのが愉快だ。でも、どっちが面白いかと言えば、「人と違う」のがたくさんいるほうが面白いし、飽きが来ない。一方、日本のように「人と同じ」ほうが安心と言う人がいるが、とてもそうは思えない。人と同じになるためには常に他人をチェックしなければならないし、常に自分が他人と同じかどうか比べて吟味しなければならない。そんなの、疲れるし飽きてしまう。本音がどうなのかわからなくて疑心暗鬼になりそう。基準が他人にあるということは、流されるのを前提として初めて成立する。
ソルティは、物心ついた頃より「自分が周りの男とは違う」という漠たる意識を持っていた。
それが思春期を迎え、周囲の男女が色気づく頃から徐々に確たるものとなり、「本当の自分」を隠すようになっていった。
むしろ、本質的に「人と違う」ところ(ゲイセクシュアリティ)を持つがゆえに、それ以外のところでは積極的に「人と同じ」であろうと無駄に骨折ったようにも思う。
つまり、同調圧力を推進する側に、異端を排斥する側についてしまうのだ。
結局、それは自己分裂を招かざるを得ないので、20代の終わり頃に破綻してしまった。
そこからは、とにかく同調圧力の強い環境(=「人と同じ」ことを求める場)からはできるだけ逃走しようというのが、生きる上での信条となった。
組織(とくに大きな)に属することに対する忌避感はそのあたりから来ている。
ソルティのイギリス愛にはそれなりの根拠があるのだ。
(濃かった前世の一つというのが一番の理由だと思っているが)
ソルティのイギリス愛にはそれなりの根拠があるのだ。
(濃かった前世の一つというのが一番の理由だと思っているが)
おすすめ度 : ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損