2018年アメリカ
94分
トーマス・カリナンの小説『The Beguiled』を原作とする。
Beguiled は「だまされて」の意だが、これを「欲望のめざめ」と題し女の園に満ちるエロティックな雰囲気を漂わせた予告編やDVDパッケージに文字通り「だまされて」、ついレンタル&視聴してしまう人も少なくなかろう。
この小説は1971年にも監督ドン・シーゲル、主演クリント・イーストウッドによって映画化されていて、その時の邦題は『白い肌の異常な夜』だった。1975年に日本テレビ 『水曜ロードショー』で放映されたときのタイトルは、『セックスパニック 白い肌の異常な夜』である。「だまされて」チャンネルを合わせてしまった男ども、続出だったろう。
それにしても、白い肌の異常な夜・・・・。
だれがつけたか知らないが、邦題グランプリの5位以内に入るのではなかろうか。
だれがつけたか知らないが、邦題グランプリの5位以内に入るのではなかろうか。
たしかにエロティックな香りに満ちているのだが、そのものずばりのヌードシーンやセックスシーンなどはない。
南北戦争の戦場から命からがら逃げ出した傷病兵(=コリン・ファレル)が、女ばかりが暮らす森の中の学寮にかくまわれ、傷の手当てを受け養生しているうちに、彼を巡る女たちのさや当てに巻き込まれ、とんだ災難に遭ってしまう。
いわば、男の園(戦場)から逃げた男が、女の園につかまって地獄を見るという話である。
シーゲル版では、悲劇の主人公となった傷病兵(=イーストウッド)の視点から描いたらしい(ソルティ未見)。本作では学寮の女性たちの視点から描いているところが、女性監督であるソフィア・コッポラの面目躍如である。
同じ一人の男のために精一杯着飾った女たちが居並ぶシーンなど、ルネサンスの名画かロココを思わせる上品な美しさ。
女校長を演じるニコール・キッドマンがやはり上手い。
傷病兵に対して感じるハイミスの欲望と、女生徒たちを守る校長としての務め、感情と理性との間を揺れ動く心情を、抑制された演技で表現している。
どんな役にもそれなりのリアリティを与えてしまう女優である。
一般に、鑑賞者が男ならば傷病兵の視点から、女ならば女教師や女学生の視点から、この映画を観ることになろう。
そして鑑賞後は、男ならば恐ろしさを感じるだろうし、女ならば「もったいない」という思いのうちにも一安心するのではなかろうか。
ジェンダーによってこれほど異なる見方をする映画も珍しいかもしれない。
ソルティは実は女教師の立場から、これを観ていた。
惜しむらくは、画面が暗すぎる。
惜しむらくは、画面が暗すぎる。
おすすめ度 : ★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損