1979年東映
131分
昭和・平成・令和と半世紀以上生きてきたソルティが、「日本社会から消え失せてしまったなあ」と思うものの一つは、エログロである。
テレビからも映画からも、コミックや週刊誌からも、街頭からも日常会話からも、エロ(猥褻)とグロ(ゲテモノ趣味)はすっかり影を潜めたなあと思う。
街はキレイになり、脱臭・滅菌志向が国民に行き渡り、コンビニからエロ本は消え、セクハラやパワハラに気を使う男たちは一応モラリストになり、体臭を失った若者は植物化・鉱物化・IT化し、人間関係もまた無機質で表面的なものになった。
無“性”的で清潔――というのが、令和時代の理想的日本人であろう。
(今、コロナがそれに拍車をかけている!)
この映画が作られた昭和50年代、戦後のカストリ雑誌の興隆から続いてきたエログロ人気はすでに下降線にあったと思う。
いわゆる猟奇趣味は、一部のマニアックな人々の嗜好になっていた。
「明るく健全」が社会の建前として定着していた。
が、この映画を観ると、昭和時代のエログロさに今さらながら驚嘆する。
こんな凄い、PTAクレーム殺到、文部省検閲必死の映画が、メジャーの雄たる東映で制作され、一般公開されていたとは・・・・。
なんとまあ、寛容な時代であったことか!
なんとまあ、寛容な時代であったことか!
なんとまあ、日本人は猥雑で卑俗であったことか!
日活ポルノの巨匠・神代辰巳(代表作『赫い髪の女』)のメガホン。
主演に原田三枝子、共演に岸田今日子、田中邦衛、石橋凌、加藤嘉、林隆三の面々。
主題歌は山崎ハコ。
描かれるは、男女のドロドロした愛憎と怨念が渦巻く現世の生き地獄、および来世のほんものの地獄。
この面子で、このテーマで、健全で清潔でまっとうなものなどできるはずがない。
『仮面ライダー』で発揮された東映ならではのマンガ的特撮を含め、なんとも形容しがたい、強烈かつ奇天烈な怪作に仕上がっている。
無類の面白さ!
当時19歳の原田美枝子は、美貌だが演技は素人レベル。
が、文字通りヌードも辞さない体当たり根性は立派。
その原田を食っているのが、日本が世界に誇る名女優にして怪女優・岸田今日子である。
この人については、一度考えてみなければならないと思っていた。
ソルティの中で最初にこの女優を意識したのは、山口百恵主演のTBSドラマ『赤い運命』である。
百恵演じる薄幸の娘・直子の生き別れとなった母親役で出ていた。
百恵演じる薄幸の娘・直子の生き別れとなった母親役で出ていた。
「あの腕のホクロ、あれは確かに直子のしるし・・・・」とかいう大映ドラマならではのベタなセリフと過剰な演技が、あの分厚い唇とともに印象に刻まれた。中学生だった。
それから、子供の頃、毎日曜欠かさず観ていたカルピスまんが劇場『ムーミン』の声がこの人であることを知って驚き、親しみが湧いた。
次のインパクトは、76年の市川崑監督『犬神家の一族』の盲目の琴のお師匠さん役である。
ほんのちょっとしか出番はないのに、金田一耕助役の石坂浩二や真犯人役の高峰三枝子に匹敵する存在感。それを上回るのは白マスク姿のスケキヨだけであった。
ほんのちょっとしか出番はないのに、金田一耕助役の石坂浩二や真犯人役の高峰三枝子に匹敵する存在感。それを上回るのは白マスク姿のスケキヨだけであった。
83年フジテレビ系列で放映された『大奥』のナレーションで、岸田は一世を風靡した。
あの鼻にかかった独特のふるえ声と、婀娜っぽいともストイックともつかぬ語り口。
ナレーション役が画面に登場するキャラたち――演じるは昭和を代表する錚々たるスターたち――より話題となったのは、後にも先にもあれくらいではなかろうか。
ソルティもよく岸田のマネをして家族を笑わせたものである。
ナレーション役が画面に登場するキャラたち――演じるは昭和を代表する錚々たるスターたち――より話題となったのは、後にも先にもあれくらいではなかろうか。
ソルティもよく岸田のマネをして家族を笑わせたものである。
この頃、都内の映画館で岸田が出演する2本の映画を観た。
安倍公房原作・勅使河原宏監督『砂の女』と、若尾文子主演・増村保造監督『卍(まんじ)』(どちらも1964年公開)である。
女優としての真価のほどを見せつけられた。
どんな役でもこなせるカメレオンのような役者なのだ。
安倍公房原作・勅使河原宏監督『砂の女』と、若尾文子主演・増村保造監督『卍(まんじ)』(どちらも1964年公開)である。
女優としての真価のほどを見せつけられた。
どんな役でもこなせるカメレオンのような役者なのだ。
それからは映画に岸田が出てくるたびに嬉しくなり、自然と注目する存在となった。
なかでも、『この子の七つのお祝いに』(1982年)で岩下志麻サマを完全に食った狂気の母親と、『八つ墓村』(1996年)で物語に不気味な雰囲気を付与する双子の老婆役が記憶に残っている。
この『地獄』における岸田の演技は、それらを凌駕するインパクトがある。
地獄にいる脱衣婆や閻魔様より怖い。
なかでも、『この子の七つのお祝いに』(1982年)で岩下志麻サマを完全に食った狂気の母親と、『八つ墓村』(1996年)で物語に不気味な雰囲気を付与する双子の老婆役が記憶に残っている。
この『地獄』における岸田の演技は、それらを凌駕するインパクトがある。
地獄にいる脱衣婆や閻魔様より怖い。
残念なことに、ソルティは岸田の舞台を観なかった。
彼女のマクベス夫人、およびテネシー・ウィリアムズ作『欲望という名の列車』のブランチは、どんなに素晴らしかっただろう?
どちらもまさにピッタリの役である。
岸田が文学座を脱退した(63年)ことを許さなかった杉村春子は、その後岸田と共演しなかったそうだが、なんともったいないことだろう。
昭和最高の名女優二人が、テレビでも映画でも共演しなかったのは、誠に残念でたまらない。
そう、杉村春子を継げるのは、太地喜和子でも、樹木希林でも、大竹しのぶでも、田中裕子でも、小川真由美でも、市原悦子でも、森光子でもなく、岸田今日子だったのではないかと思うのだ。
冒頭の話題に戻る。
令和日本から消えたように見えるエログロ。
もちろん、消えてなどいなくて、インターネットの中に潜り込んだのだ。
表面から駆除されて、表立って見えないところで一層狂気を増してはびこっている。
ちょっとネットサーフィンすれば誰にでも分かることだ。
エログロを許さぬ、行政のパンフレットの文句のような“きれいで健全な”社会。
底に押し込められた魔物が、いつか表面に浮上して復讐するのではないかと危惧するソルティである。
いや、コロナがそれなのか?
いや、コロナがそれなのか?
おすすめ度 : ★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損