2019年新潮社より刊行
2016年新潮文庫
8年前介護施設に就職して、先輩職員に付いてはじめて認知症フロアに足を踏み入れたとき、
「自分はこんな人たちの世話ができるのだろうか?」
とずいぶん不安になった。
「自分はこんな人たちの世話ができるのだろうか?」
とずいぶん不安になった。
そのときは10人あまりの高齢者が、鍵や暗証番号で閉じ込められたフロアにいた。
- 今がいつでここがどこだか分からない。
- 訪れてくる息子や娘を他人と間違える。
- ちょっと前に食事をとったことを忘れ、再度要求する。
- 自分の部屋が分からず、他人の部屋に入ってそこで寝てしまう。
- 歯磨きの仕方を忘れ、歯ブラシをポケットに入れて持ち運ぶ。
・・・・といったような、いわゆる認知症の“中核症状”は多かれ少なかれ誰にも見られた。
そのこと自体は驚かなかったし、対応に困ることもなかった。
そのこと自体は驚かなかったし、対応に困ることもなかった。
がんぜない子供の相手をしていると思えば、可愛らしくもあった。
だが、それだけですむ利用者ばかりでなかった。
- 出口を探してフロアを一日中歩き回る。
- 来訪者が来たタイミングにエレベータに乗り、外に出てしまう。
- 他人の部屋に入って衣類をいじり、物を持っていってしまう。
- 入浴や服薬や着替えを拒否する。
- 失禁した自分の便をいじる。
- 食べられない物品を口に入れる。
- 大声や奇声を上げ続け、周囲を怯えさせる。
- 他の利用者や職員に暴力を振るう。
- 昼夜逆転して、夜間に動き回る。
認知症の“周辺症状”と言われるこうした行動が手にあまった。
それもフロアに一人だけでなく複数同時にいたときは、介護するこちらがパニックになり、ストレスで鬱になり、仕事を辞めたくなった。
しかるに、ソルティは先輩職員の指導を離れ一人立ちしたあとは、どういうわけか認知症フロアに回されることが多かった。
若い子より修羅場になれていると思われたのか、あるいは若い子に辞められたら困るのでツブシが効かないオヤジが貧乏くじを引かされたのか。
三度の食事および就寝介助の時以外は、基本たった一人で10人から14人(満床時)の認知症患者を見なければならなかった。
ずいぶん鍛えられたものである。
上記の中核症状は認知症患者の脳の障害によるものなので、今の医学では薬などによって進行を遅らせることはできても、改善して治すことはできない。
一方、周辺症状は患者の身体状態、周囲の環境、介護者の関わり方などに影響されるところが大きい。
たとえば、徘徊の原因は便秘が4日続いていたことにあり、ナースが座薬を挿入し排便をうながしたら、すっかり落ち着いた――なんてこともよくあった。
観察と推理、適切な医療介入、そして何より介護者の対応の仕方が大切なのだ。
仕事を始めて一年くらいしてそのあたりが分かってくると、今度は“問題行動”の多い認知症の利用者をいかにして落ち着かせ、介護拒否をなくし、フロアを平和にしていくかに、やりがいや面白みを感じるようになった。
「ソルティさんが入っているときはフロアが落ち着いているね」
「この利用者は他の職員の言うことは聞かないけれど、ソルティさんの言うことなら聞くんだよね」
なんて、他のスタッフに言われるのはまんざらでもなかった。
「この利用者は他の職員の言うことは聞かないけれど、ソルティさんの言うことなら聞くんだよね」
なんて、他のスタッフに言われるのはまんざらでもなかった。
入社時は動物園か精神科の入院病棟のように思えたフロアが、いつの間にか長閑な田園地帯のように思われ、「1年持てば御の字」と思っていた職場に6年以上も在籍していた。
とは言うものの、ベテラン介護士やナースでもどうしても手におえない認知症患者はいる。
家族やケアマネからの懇願を受けいったん施設で受け入れたものの、数晩あるいは一週間以内に「お引き取り」願うケースもままあった。
お引き取り先は、主として精神科病院のことが多かった。
女性利用者P子さんを思い出す。
入所手続きを済ませた家族が帰った直後から、P子さんは出口を探してフロアを歩き回り、介護者の声掛けをいっさい受け付けなかった。
どんどん表情が険しくなっていく。
夕食を終えても、トイレ介助を許さず、パジャマに着替えることもなく、ずっと歩き回る。
他の人の部屋に押し入り、驚いた部屋の主と喧嘩を始める。
二人いる職員が他の利用者の就寝介助をしている隙に、ステーション(職員詰所)にある内線電話を見つけて110番してしまう。
「私は悪者に誘拐されて閉じ込められている。助けて!」
内線の110番は、施設の事務所につながっている。
事情を知っている施設の事務員が出て、適当に話を合わせ、彼女をなだめてくれた。
歩き回って疲れたのか大人しくなったP子さんは、気難しい顔をしたまま自分の部屋に行き、ベッドに横になった。
安心した昼間の職員は帰った。
真夜中、ふと目を醒ましたP子さん、暗闇で状況がかいもく分からず、パニックになった。
またしてもフロアを歩き回る。
一人シフトの夜勤職員はずっとついているわけにもいかず、しばらく放っておいた。
と、P子さんの目に入ったのが、フロアの目立たぬ壁にあった非常ベル(自動火災報知機)。
中央のガラスを強く押した。
全館に鳴り響く警報。
驚き、慌てふためく各階の夜勤職員と入居者たち。
施設の非常ベルは消防署と連動している。
またたく間に施設は何台もの消防車に取り巻かれてしまった。
混乱する施設の内と外。
集まってきた不安そうな近所の人々。
対応に追われる職員。
そんななか、P子さんはいっこうに落ち着くことなく、ベルの音に起こされ部屋から出てきた他の入居者に襲いかかり、転倒させ、ケガさせてしまった。
消防車が引くのと入れ違いに、救急車とパトカーがやって来た。
そんななか、P子さんはいっこうに落ち着くことなく、ベルの音に起こされ部屋から出てきた他の入居者に襲いかかり、転倒させ、ケガさせてしまった。
消防車が引くのと入れ違いに、救急車とパトカーがやって来た。
事情を確かめにフロアまで上がってきた警官に、P子さんは一言。
「今頃来ても遅いのよ!」
ここまで来ると、施設で見るのは無理である。
「今頃来ても遅いのよ!」
ここまで来ると、施設で見るのは無理である。
翌日、勝ち誇った顔のP子さんは、憔悴しきった夜勤職員らに見送られ、呼び出された家族とともに車で精神科病院へ向かった。
ソルティは、あとから夜勤職員に一部始終を聞いたのだが、
「もう自分が殺すしかないな・・・・」
本書では、副題通り、家族の介護に追いつめられた結果、殺害に走ってしまった人々の事例が掲載されている。
介護保険施行後、おおむね2010~2015年に起こった事件を取り上げている。
警察庁の統計によれば、2007~2014年の8年間に全国で起きた未遂を含む介護殺人は、371件にのぼるという。
年平均46件、8日に1件のペースで起きている。
加害者となった介護人と被害者となった要介護者との関係、要介護者の病状や必要な介護の程度、各家庭の生活事情、周囲のサポートの有無、殺害に至るまでの経緯などは、ケースごとに異なるので一概には言えないのであるが、ある程度の共通項は見ることができる。
- 被害者は、認知症や精神・知的障害が多い。(身体的介護の軽重は関係ない)
- 加害者は、犯行時、介護疲れで「うつ」や「不眠」が続いている。
- 加害者は、責任感が強く、愛情深い人が多く、周囲に助けを求めるのが苦手。
- 加害者となるのは、娘より息子、妻より夫が多い。つまり、女性より男性(7割)が多い。
本書では、刑事事件となった様々なケースの経緯を、刑を終えた加害者本人へのインタビューや周囲で心配しながら二人を見守っていた人々(ご近所さん、民生委員、ケアマネ、ヘルパー、遠方に住む家族)の証言を中心にたどり、事件の背景となった要因を探っている。
介護保険制度の不備や行政の杓子定規な対応、核家族化や地域コミュニティの希薄化、貧困問題や福祉の欠如など、いろいろな要因があるのは間違いない。
が、本書を読んで意外に思ったのは、テレビの同種の事件報道から自然と持たされていた「周囲から見捨てられた老々介護の夫婦が絶望して心中」といった世の冷たさを知らしむるケースよりも、むしろ、加害者を含めた周囲の人々が「善意」で関わっていながらも、否応なしに事件が起こってしまったケースが多い点である。
作家の重松清が解説でこう記している。
本書のサブタイトルは〈追いつめられた家族の告白〉である。では、なにが家族を追いつめたのだろう?行政の冷たさか? 社会の無関心か? 医療の進歩によって「生きてしまう」超高齢化社会のジレンマなのか?どれも少しずつ正しい。けれど、やはり、最も大きなものは、家族愛なのではないか。まわりに迷惑をかけてはいけないという責任感なのではないか。家族を愛していなければ、もっと割り切って、自分一人で介護を背負い込まなくてもすむ。もっと身勝手に、逃げ出してしまうこともできる。そうすれば、家族を殺めてしまうという最悪の選択だけはしないでもすんだのかもしれない。
ミヒャエル・ハネケ監督の映画『愛、アムール』(2012)に残酷なまでに描かれているように、加害者となった介護者と被害者となった要介護者(たとえば、夫と妻)には、他の家族の成員をふくめ余人には決して知ることも侵すこともできない、長年積み上げてきた特別の(依存)関係がある。
そこに他人が踏み込むことは、たとえ何らかのリスクを感じ取っていても、なかなか難しいところであろう。
多くの経験者が口を酸っぱくして言うことがある。介護が始まったら、とにかく一人で抱え込まず、時には手を抜くことが大切だ、ということだ。
他人の介護に仕事で関わる者として、また、そのうち始まるかもしれない実親の介護に息子として関わる者として、銘記しておきたい言葉である。
と同時に、自分と親との関係のあり方を今のうちに見直しておかなければ・・・・。
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損