1994年筑摩書房
1997年ちくま文庫
敗戦後ラバウルから帰還した水木しげるが、主として昭和24~26年頃に記憶を頼りに描いた絵に、文章を添えた従軍記である。
なによりもまず、水木しげるの映像記憶の凄さに感心する。
まるで、目の前の光景をその場で素描しているかのような生々しさ、臨場感がある。
頭のなかにシャッターがついているかのよう。
頭のなかにシャッターがついているかのよう。
やっぱり天性の絵描きなんだなあ~。
次に思うのは、軍隊のキチガイぶりである。
ビンタをはじめとする上官の日常的暴力、無意味な労働、無駄な行軍。
水木がラバウルに派遣された昭和18年末はすでに日本の敗色濃厚だったので、戦地には自暴自棄の空気が漂っていたとは思う。
が、それにしても頭の悪い・・・・。
が、それにしても頭の悪い・・・・。
ソルティの高校時代の部活動(軟式テニス部だった)を振り返ってもそうだが、つい最近まで、日本のスポーツ界というのは疑似軍隊であった。
先輩・OBの命令は絶対で、意味のないシゴキが付き物で、どんな炎天下であろうが運動中に休憩をとらせず、水も飲ませない。
そうやって精神を鍛えることが選手の身心を強くし勝利を導く、とマジで考えられていたのである。
科学的かつ合理的精神にもとづき、エビデンスを元に効率的に選手を育成するという視点に欠けていた。
「神風特攻精神」に象徴される頭の悪さが、日本の敗戦の主因であろう。
が、頭の悪いのは日本に限ったことではない。
日米は、ラバウルほか太平洋の島々で熾烈な殺戮合戦を繰り返すが、はた迷惑なのは現地の住民たちである。
家や畑を焼かれ、食べ物を盗まれ、強制徴用され、銃撃や空爆の脅威にさらされ・・・・・。
文明国を気取っている日本やアメリカが、文明は持たなくとも素朴に平和に暮らしている人々(水木しげるは敬愛の意を込めて彼らを“土人”と呼んでいる)を虐げる。
彼らは、文明人と違って時間をたくさん持っている。時間を持っているというのは、その頃の彼らの生活は、二、三時間畑にゆくだけで、そのほかはいつも話をしたり踊りをしたりしていたからだ。月夜になぞ何をしているのかと行ってみたことがあったが、月を眺めながら話をしていた。まァ優雅な生活というやつだろうが、自然のままの生活というのだろうか。土人は“満足をする”ということを知っている、めずらしい人間だと思って、今でも敬意を払っている。
我々文明国の人間は、金や土地や資源や栄誉や安全など欲しいものを手に入れ満足するために戦争するわけだが、文明国でない人々は最初から満足を手に入れている。
文明とはいったいなんだろう?
もう一つ思ったのは、水木しげるのタフさ、大らかさ、運の良さである。
若かった(当時23、4歳)こともあろうが、上官からの度重なるビンタをものともせず、初めて足を踏み入れた南の島の自然や動植物や昆虫や食べ物に多大なる好奇心を持ち、楽しんでいる。
兵営近くの部落の土人たちとすぐ仲良くなって、終戦時には「畑をやるからこのまま島に残ってほしい」と彼らに哀願されるほどの関係を築いている。
一体に先入観を持たない大らかさがある。
一体に先入観を持たない大らかさがある。
水木が夜の見張りのために小屋を離れた時に、攻撃を受けた部隊は全滅する。
その後も、一人ジャングルの中を命からがら逃走し、最後は爆撃によって左腕を失う不運に遭ったものの、九死に一生を得る。
いや、左腕を無くし野戦病院に送られたがゆえに、命ばかりは助かったのだ。
そのまま最前線に残っていたら、生きて日本に帰れなかった可能性が高い。
水木しげるがラバウルで死んでたら、鬼太郎や河童の三平は生まれなかった。
目玉おやじもねずみ男も猫娘も生まれなかった。
きっと、荒俣宏も京極夏彦も『妖怪ウォッチ』も生まれなかった。
水木しげるは、日本とラバウルの妖怪たちの協定により守られたに違いない。

おすすめ度 : ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損