1941年松竹
70分、白黒

 これは珍作中の珍作。
 笠智衆を主人公とする恋愛ドラマがあるとはよもや思わなかった!
 しかも、お相手は日本が世界に誇る往年の名女優、田中絹代!
 しかも、田中絹代が、足をケガした笠智衆をおんぶするという驚きのジェンダーフリー・シーンがある!
 しかも、二人は何ら障害なさそうなのに、接吻一つ交わさず、結ばれないまま別れてしまう。
 
 監督の清水宏が田中絹代と付き合っていた因縁はあるようだが、それは過去の話で今さら嫉妬もあるまいに。
 三十過ぎた独身同士で、互いにまんざらでもなさそうな美男美女が、なぜに結ばれぬ?
 たしかに“愛を語る”笠智衆はちと想像しがたいが・・・・・。


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笠智衆をおんぶする田中絹代


 原作は井伏鱒二『四つの湯槽』(ソルティ未読)
 『按摩と女』同様、山中の平和な温泉宿を舞台に、一組の男女の運命的な出会いと別れを中心に、同宿の者たちの交流を、ときに詩情豊かに、ときにギャグタッチに、ときにサスペンスフル(笑)に、全般ユーモラスに描く。
 簪(かんざし)というタイトルは、芸者(=田中絹代)がお湯の中に落とした簪を、あとから入った青年(=笠智衆)が知らずに踏んで足をケガしたことが、二人の出会いのきっかけになったところから来る。 
 しかるに、「ほんのかすり傷」のはずだのに、包帯をぐるぐる巻き、松葉杖をついて片足を引きずりながら過酷なりリハビリする青年・笠智衆の姿が、不思議千万、かつ滑稽である。
 同宿者の熱い声援を受けながら、川に渡した狭い木橋を渡ろうと試みる笠のアクロバティックな姿は、笠ファンなら見逃せない珍シーンである。
 なぜリハビリするのにこんな危ない芸当をする必要がある?――という疑問はご法度である。
 観る者は、『カサンドラクロス』や『戦場にかける橋』ばりに、あるいはキグレサーカスの綱渡りばりに、音楽と周囲の応援とで盛り上げられたこの稀に見るサスペンスシーンを、固唾をのんで(失笑をこらえ)見守るよりない。
 しかも、笠青年が途中で挫折し田中絹代におんぶされつつ橋を渡り終えた直後に、温泉宿の按摩たちが杖ですたすた渡っていくというオチがつく。
 清水宏の落語のようなボケが実に冴えている。


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おっと、危ない!

 
 笠智衆扮する青年と絹代扮する芸者が森の中で語らい合うシーンで、セリフが一部飛んでいる。
 軍部によって検閲を受けたのではなかろうか?
 この映画の公開は太平洋戦争直前。
 それを思えば、男女が結ばれなかった理由も頷ける。
 これから戦地に赴く青年が、色恋なんかにうつつを抜かしている暇があるか!!

 笠智衆の貞操はかくして守られた。

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失恋した女
『按摩と女』の名シーンがここでも繰り返される



おすすめ度 : ★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損