1961年新潮社より刊行

 石川啄木『破戒』と並び、部落差別を描いた小説として名高い。
 第七部まである大長編なので、今までなかなか手が出せなかった。
 これもコロナ自粛の効用である。

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 明治後期の奈良県の被差別部落(小森部落)を舞台とし、父親を日露戦争で亡くした貧しい一家(畑中家)の歴史が描かれる。
 二度映画化されていて、ソルティは最初の今井正監督版(1969年)を観ている。
 なので、映画との比較という点でも興味深かった。
 なによりも、畑中家の最年長である姑・ぬいと嫁・ふでのやりとりを読んでいると、どうしたって映画の中の北林谷栄と長山藍子の姿が彷彿とせざるをえない。
 とくに北林谷栄以外のぬいの顔や姿や話し声や挙措を思い描くことができない。
 そのくらい北林の演技は完璧であった。
 一方、長山藍子もまた素晴らしく役にはまって、姑思いの優しく忍耐強い嫁像をつくっていたと思うが、原作のふでは「美人ではない」と書いてある。
 長山藍子はどう見たって雛には稀な美人である。 
 泉ピン子とは言わないが、大竹しのぶあたりが原作に近いかもしれない。

 ちなみに、『風と共に去りぬ』のヒロインであるスカーレット・オハラもまた、それこそ原作の冒頭で「美人ではなかった」と書かれている。
 映画の影響で、スカーレット=ヴィヴィアン・リーはもはや動かせないハマリ役とされてしまったが、ヴィヴィアン・リーは誰がどう見たって絶世の美女である。
 原作に従うならば、もっと××な女優がふさわしかったはず。
 もちろん、ヴィヴィアン・リーの起用は(クラーク・ゲーブルやオリヴィア・デ・ハヴィランドの起用と共に)大正解だったわけであるが。
 こういった原作と映画のキャラの変容は面白い。


ヴィヴィアン・リー
スカーレット・オハラを演じるヴィヴィアン・リー

 
 さて、第一部では畑中家の子供たち・長男誠太郎と次男孝二の成長を軸に、小森部落における一家の暮らしぶりが丁寧に描かれる。
 厳しい差別と貧しさの中で、優しい祖母と母親に見守られ、良い友人に恵まれ、自らの置かれた不当な環境に目覚めていく少年たちの姿が、切なくも頼もしい。
 思えば、子供を主人公とする小説を読むのは久しぶりなので、新鮮な感動があった。
 子供というものは、大人以上に感じやすく、小さなことにも傷つきやすく、周囲のいろいろなことに疑問を持つものなのだと、自らの子供の頃を思い出したものである。
 そう、ソルティは下村湖人の『次郎物語』が好きだった。
 そうした子供の繊細な心を掬いとり、四季折々の自然描写と詩的に重ね合わせていく作者の筆に、「優れた小説とはこのようなものだ」とあらためて思った。
 
 部落差別と天皇制の関係についてよく言われているのは知っていたが、これまで深く調べたことも考えたこともなかった。
 天皇=神、天皇=総帥であった明治時代の話であり、本書には天皇に関する記述が多い。 
 たしかに天皇は日本の身分制度の頂点であり要であるので、部落差別を考えるうえで天皇制は避けて通れないものである。
 このへんはおいおい調べていきたい。
 

 
おすすめ度 : ★★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損