2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)

 より能率的であることを学んでください。一つのことにおいてだけではなくて、あなたが行う全てのことにおいてです。 
 そして、能率的であるためのいちばんの方法は、落ち着いて安らいだ状態でいることです。
 もし急いでいて、落ち着きを失っていたら、何事を行うにもより多くの時間がかかることになります。

 通勤列車の中でシートに腰かけて、夢中になってミステリーを読んでいる。
 駅に到着し、ドアがプシューっと開く。
 「〇〇~、〇〇~」
 うわの空で聞いていたアナウンスが、数秒たって、意識に上がってくる。
 ハッと、そこが降車駅であることに気づく。
 焦って、しおりを本に挟み、ジッパーの空いているデイバッグに投げ入れ、肩ベルトを片一方の肩だけに掛けて、ドアへと急ぐ。
 そのとたん、口の空いたままのデイバッグから、ペットボトルが落ちて車内を転がってゆく。
 ほかの乗客の注視を浴びながら追いかけていると、今度は小物入れが落ちる。
 発車ベルの響く中、二つを拾い上げて、ドアの閉まる直前に降車する。
 セーフ!

 こういった間抜けな展開が意外に多いソルティ。
 ペットボトルや小物入れが落ちない時は、降車したしばらく後に、帽子を座席や帽子掛けに忘れてきたことに気づく。
 すべては焦るがゆえの失敗・・・。

忘れ物


 実際のところ、列車のドアの空いている時間(≒停車時間)は20~30秒である。
 結構長いんである。
 少なくとも、本をゆっくり閉じて、デイバックに納め、ジッパーをしっかり閉めて、肩ひもを両肩に掛けてデイバッグを背負い、それから立ち上がって、座席を振り返って忘れ物はないかを確認し、ゆっくり歩いて列車を降りてもまだ余裕があるほど、十分に長い。
 そのことをソルティは、足をケガして松葉杖で列車移動しているときに、はっきりと知った。
 鉄道会社は当然、足腰の悪い高齢者や障害者、ベビーカーを押す若いママ&パパたちが、焦らず安全に乗降者できるほどの時間は見ているのである。
 座席で上着と靴を脱いで弁当を広げているという行楽モードならともかく、通勤モードで焦る必要などまったくない。
 
 焦りは、人を失敗に導く大きな原因の一つである。
 大事な試験のとき、車を運転しているとき、期限までに書類を作成しなければならないとき、人との待ち合わせに遅れそうなとき、やることが一杯あって何から手をつけていいかわからないとき・・・・。
 誰もが思い当たることがあろう。
 重要な場面でこそ焦りは生じるものだが、その焦りが物事の能率を下げ、持っている能力の発揮を妨げるのだから厄介である。
 焦らなければ全然問題なく片づけられることが、焦って落ち着きをなくすゆえに失敗する。
 
 そんなときに「大きく深呼吸する」というのが昔からよく言われている手であるが、より効果の高い手が、マインドフルネス瞑想(ウィッパサナ瞑想)である。
 ウィッパサナ瞑想によって、今現在生じている感覚や動きや感情や思考を観察すると、その観察するという行為自体が、人を時間から解放し、「落ち着いて安らいだ状態」にする。
 その状態で物事にあたると、心と頭脳と体がコンピュータのように最適化されて、やるべきことが明瞭に見え、淡々と進められ、その時のその人の最高に近い能力が発揮される。
 これは知っていて損はない。

 ソルティ自身の経験で言えば、ウィッパサナ瞑想をするようになってからここ数年の間、3回の大きな資格試験を受けた。
 2回は国家試験(介護福祉士、社会福祉士)、1回はケアマネ(介護支援専門員)の試験である。
 いずれの場合も、試験当日、開始直前までウィッパサナ瞑想をやっていた。
 おかげで、まったく焦ることがなかった。
 緊張はしたが、それはアスリートがよく口にする「良い緊張」であった。
 いずれも無事一発合格することができたが、たとえ合格しなかったとしても後悔はなかったであろう。
 なぜなら、その時に自分が持っていた能力は最大限発揮したという思いがあったからである。
 試験終了後、「やれるだけはやった」と素直に思えた。
  
 まったく、ソルティのような緊張しやすく焦りやすい“小物”にとって、この瞑想は福音である。