1961年新潮社より
第三部に入って、物語は大きく政治性、時代性を濃くする。
ときは大正7年(1918年)。
第一次世界大戦のさなか、ロシア革命が勃発し史上初の社会主義国が誕生。
その騒ぎに乗じた日本政府(寺内正毅内閣)はシベリア出兵に踏み切る。
国内では、富山の主婦らによる打ちこわしを端に発した米騒動が広がり、一方、最終的には死者39万人(当時日本人口は5500万人)に至ったスペイン風邪が流行する。
そんな世相の中、大阪の米屋で番頭を務める畑中家の長男誠太郎は、主家の娘安田あさ子と結婚の約束を交わすも、徴兵検査で甲種合格となって兵に取られる。
祖母ぬい、母ふでと小森部落に暮らす次男孝二は、大逆事件を起こした幸徳秋水の著書との出会いにより人権思想にめざめてゆく。
孝二は、兄への手紙でこう書く。
僕は教室でしばしば考えました。“なんでわしらには天皇のために死ぬ義務があるんやろか。もし先生がいうように、六千国民がみな君のために「死ぬ」義務を負うていて、死ぬことが一番立派やというなら、別にむつかしい勉強で苦労することは要らぬやないか。”と。僕は今にしてわかります。八年間の教育は、人間として教え育てるために設けられたものではなく、人間を奴隷に鍛冶するために過ぎなかったのです。ですから日本人すべてが、実は義務の重荷を背負うた奴隷で、人間として生きる権利を持つ者は一人も居ないことになります。そう言えば大臣や大将や官吏も、その肩書によってそれぞれ何かの職権を持ちはしますが、人間として生きぬく権利や、その権利を主張する自由は全然持ち合わせないのではありますまいか。いや、それよりも、僕は世間の人たちが自分で自分をはっきり人間として考えたことがあるのかどうか疑わずにはいられません。もし自分が人間だということがわかれば、僕たち小森にうまれた者も、また同じく人間だということがわかる道理です。
ここには人権思想の根幹をなす「先天性」と「普遍性」とが謳われている。
人権とは、すべての人間に対して“生まれつき平等に”付与されているものであるという考えである。
この根本理念あればこそ、人は、自らとは違い自らが理解も共感もできず自らが厭わしくさえ思う、他の人種や国籍や性別や身分や職業やセクシュアリティや犯罪歴や思想などをもつ人間たちの人権をも、進んで守らなければならないのだ。
他人の人権の危機は、人権の根本理念そのものの危機であり、それはとりもなおさず、自分の人権の危機を意味するからである。
自己の人権を大切にしたいからこそ、他人の人権も大切にしなければならない。
ここでもまた、人は、自分に与えることのできるものだけを他人にも与えることができ、他人に与えることのできないものは自分にも与えることができない。
コロナ差別が吹き荒れる今、そして国民の意思や人権を無視した政策(とも言えぬGOTOトラブル)が横行する現在、なぜ、自分が『橋のない川』を読んでいるのか、ここに来て見えた気がする。