2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)
私たちはみな、それぞれ異なった仕方で精神的に病んでいるのです。完全に健康な身体というのは存在しません。医者はそのことを知っています。完全に健康な精神さえ、存在はしないのです。しかし、それはあなたが狂っているという意味ではありません。あなたはただ正常、つまり正常に不健康なのです。あなたがこうした種類の、距離を取る洞察智をつければ、あなたの心はたいへん健康になります。本当に健康になるということは、本当に明晰な理解を得るということです。精神的に健康になるためには、他の道はありません。(標題書P.263)
最近、巷でよく聞く言葉に「HSP」というのがある。
Highly Sensitive Person(ハイリ―・センシティブ・パーソン)の略で、非常に繊細で敏感な人のことをさす。俗に「繊細さん」と呼ばれている。
アメリカの心理学者エイレン・アーロン博士が提唱した概念で、人口の15~20%が該当するそうだ。
HSPは病気ではなくて生まれ持った気質で、次のような特性が挙げられている。
- (物事を)深く処理する
- 共感力が高い
- 過剰に刺激を受けやすい
- ささいな刺激を感知する
こうした特性ゆえ、非HSPの人にくらべて敏感に感じたり過剰に気づいたりするため、精神が疲れてしまい、生きづらさを感じることになる。
「モロ自分やん!」と思ったそこのアナタ!
正解です。
正解です。
「自分をHSPだと思っている日本人は53%に達する」というデータもありますから(笑)。
むろんソルティもHSPです。
何が言いたいのかというと、「学者先生め、またこうやって新しい“心の病”を作り出しやがって・・・・」というぼやきである。
フロイト以降、どれだけ“心の病”が生み出されてきたことか!
更年期障害、 月経前症候群(PMS)、 アルコール依存症、 適応障害、 自律神経失調症、 摂食障害(過食症・拒食症)、 不眠症、 双極性障害(躁うつ病)、 うつ病、 認知症、 パーソナリティ障害、 統合失調症、 発達障害、 高次脳機能障害、 自閉症、 心的外傷後ストレス障害(PTSD)、 強迫性障害、 パニック障害、 睡眠時無呼吸症候群、 慢性疲労症候群、 ADHD(注意欠陥・多動性障害)、 アスペルガー症候群・・・・・e.t.c.
こういった症状に悩み苦しんでいた当人にとっては、「自分が他の人と違っておかしかったのは病気のせいだったのだ。自分を責めなくてもいいんだ。病名がついて良かった!」という解放感と安心感を得て、それなりに開発され手順化された治療につながっていくのであろうし、それなりに治療効果もあるのだろう。
が、一方、新たな“心の病”の誕生は、心理学者や精神科医ら“心の治療”にたずさわる人々の出番を増やし、飯のタネや利権の温床となることも否定できない。
アルコール依存症なんて、昔は単なる“大酒のみ”で通っていたはずだ。
HSPも“ナイーブな人”で通っていたはずだ。
何が言いたいのかというと、こうまで“心の病”だらけになると、「いったい何らかの“心の病”に該当しない人間っているのだろうか?」という疑問が生じるのである。
ここに100人の人間がいて、うちHSPが50%、更年期障害が30%、認知症が14%、うつ病が6%、統合失調症が1%、アルコール依存症が0.9%・・・・と数えていったら、すべての日本人(少なくとも大人)はなんらかの“心の病”にかかっていることになりはしないだろうか?
逆に言えば、“健康な心”をもっている大人っているのだろうか?
そもそも、何をもって“健康な心”と言うのだろう?
厚労省の定義は以下のごとし。
こころの健康とは、世界保健機関(WHO)の健康の定義を待つまでもなく、いきいきと自分らしく生きるための重要な条件である。
具体的には、自分の感情に気づいて表現できること(情緒的健康)、状況に応じて適切に考え、現実的な問題解決ができること(知的健康)、他人や社会と建設的でよい関係を築けること(社会的健康)を意味している。人生の目的や意義を見出し、主体的に人生を選択すること(人間的健康)も大切な要素であり、こころの健康は「生活の質」に大きく影響するものである。
(厚労省ホームページより抜粋)
仏教の定義はもっと単純である。
悟らない限り、人はみな精神的に病んでいる。
最終的な悟りに達した阿羅漢だけが“健康な心”を備えている。
なぜなら、阿羅漢には自我がないからである。
自我こそが“心の病”の元凶である。
なるほど、自我のない子供は心を病まない。
成長して強固な自我を育てるほどに、人は精神的な病に陥りやすくなる。
精神的な病の多くは、自我と社会との軋轢によって生じるからだ。
なので、「私は病気である」と言うのは間違い。
「私」が病気である。