毎年恒例の高尾山初詣。
昨年は足のケガで行けなかった。
今年もコロナで無理かなあ~と思っていたところ、高尾に住むある女性から展示会のお誘いをいただいた。ブログを通じて知り合ったツクシさんである。
高尾山のふもとにある喫茶店「ふじだな」で、1月中「つくし作品展」を開催しているという。
前回(2017年1月)の展示会ではお目にかかれなかった。
今回はお会いしたいと思い、往復の交通機関の“密”を避けるべく日程調整し、平日の午前中に行くことにした。
そのあと、喫茶店近くの蛇滝口から高尾山に登り、薬王院に参詣し、下山後に高尾極楽湯に浸かる。
ラッシュ前には余裕で帰宅できよう。
ソルティの職場は高齢者や病人と関わることが多いので、定期的に職員全員へのコロナ抗原検査を実施している。
PCR同様、鼻に綿棒を突っ込む検査で、ほぼその時点でのステイタス(感染の有無)を知ることができる。
ちょうど前々日に検査を受けて陰性をもらったばかりであった。
愛する高尾にウイルスを持ち込む心配はないし、他人にうつすこともない。
自分がどこかで貰わないようにだけ注意すればよい。
JR中央線高尾駅北口から小仏行きのバスに乗る。
リュックを背負ったハイカーがちらほらいて、席はすっかり埋まった。
風は冷たいが、空は澄み渡り、陽射しには春のやわらぎが感じられる。
裸の木々の間から冬の山々のすっきりした稜線が楽しめる、絶好のハイキング日和である。
蛇滝口を過ぎ、裏高尾バス停で下車。
「ふじだな」は目と鼻の先にある。
壁に飾られた自作に囲まれて、ツクシさんはすでに店内で待っておられた。
ブログで知り合ってかれこれ4年以上になるのに、お会いするのはこれが初めて。
が、なんだか初めて会ったとは思えないのが不思議であった。
4年の間にお互いのブログを訪問し、それぞれの近況や関心の所在はなんとなく知っていたし、たまにコメントのやりとりもあったけれど、齢五十過ぎていまだ人見知りのソルティ、初対面の人と話すのが得意ではない。
しかも、ツクシさんは“全米”で活躍されたプロのイラストレーター。
ホームページに掲載されている作品の数々を見れば、その豊かで個性的な才能と旺盛な創作力は歴然としている。
会う前は、なんだか採用面接に向かう新卒学生のようにドキドキしていた。
ところが、出会った瞬間、まったく壁を感じなかった。
(各テーブルに設置された透明な壁は仕方あるまい)
次から次へと話題は転換し、話は弾んだ。
やっぱり一番熱いテーマはスピリチュアリティ。
やっぱり一番熱いテーマはスピリチュアリティ。
スピリチュアルな話題というのは、それに関心のない人にとっては、「あやしい」「いかがわしい」「ちょっとイっちゃってる?」「あぶない」「現実離れ」と思われがちなので、なかなか日常会話に乗らないものである。
ネット上はともかく、オフの場で話せる相手を見つけるのはなかなかに難しい。
ましてや、会ったばかりの人にそうしたテーマを投げかけるのはキヨブタ(清水の舞台)の勇気を必要とする(笑)
それだけに、「この人、スピリチュアルOK」と分かったときは、俄然、熱く語り合ってしまうのである。
なぜなら、スピリチュアリティこそは、その人のアイデンティティや価値観や世界観の核をなしているからである。
というわけで、ツクシさんはすでに2巡目に入っているという「奇跡のコース」について、ソルティは仏教やヴィパッサナ瞑想(=マインドフルネス瞑想)について、共通したところや異なるところの確認やら、それらが各自の物の見方や生活にどういう影響を及ぼしたかなど、自在に語り合った。
この、いきなりお互いの存在の深いクレパスに切り込んでいくスリリングな感覚は、三年前に四国遍路したとき宿で出会ったお坊さんとの会話以来であった。
時節柄、長居は控えるつもりであったが、気がつけばお昼を回っていた。
一緒に喫茶店を出て、平和な裏高尾の道をゆく。ツクシさんの家は近くにあるらしい。
別れた後でふと気づけば、蛇滝登山口をはるかに過ぎていた。
話に気を取られていた。というより、久しぶりのスピリチュアルトークに興奮し気もそぞろだったようだ。(こんなときのマインドフルネスなのに・・・・)
山登りをあとに持ってきたのは正解であった。
人気のない蛇滝の道場のお堂に腰掛けて、しばらく瞑想していたら、すっかり心が落ち着いた。
むろん、体もデトックス効果ですっきり。
高尾山の裏梯子とも言うべき急な九十九折りの道を登って、一気に薬王院参道に出る。
足の調子もいい。
今年もスピリチュアルな一年になりそうだ。