1990年三一書房
住井すゑ著『橋のない川』の時代設定は、明治後期から水平社宣言がなされた大正11年。
有史以来、日本がもっとも著しく天皇制による国粋化をはかった時代と言っていいだろう。
そうした極端な時代において、天皇制と部落差別の関係が浮き彫りにされたさまを住井は描いている。
本書で上杉はその歴史的根拠を探っている。
まず、著者は天皇制をこう定義している。
「古代中国から輸入された支配制度と、排除を利用した支配制度が結びついたもの」と、大まかにいってよいのではないかと思う。これが始まるのは、推古朝(592~628年)の聖徳太子の改革のころからであり、「大化の改新」(645年)後に成立したものであった。
天皇制の始まりを、『古事記』や『日本書紀』に出てくる第1代神武天皇に、あるいは欠史八代(2代~9代)をのぞいた第10代崇神天皇に置いていない点に留意したい。
確かに、天皇という名称が使われたのは大化の改新以後の天武朝からと言われている。
本書では、天皇制を支える三つの軸として、
- 「神国日本」、「アジアの盟主」といった日本版中華思想というべき世界観(アジア観)
- 家制度や男系による家督相続システムにより身分の固定を図る戸籍制度
- 神道にもとづく「けがれ」観および荘園制度進展により生じた排除のシステム
を上げて、それぞれの観点から、部落差別が生まれ、固定化し、持続していった経緯を究明している。
3.の排除のシステムとは次のようなものである。
古代的な民衆支配が崩壊した後、それに代わる天皇制の支配の方法は、荘園制の進展に対応しつつ、一方で荘園の外部にいる人びとへの差別を強化し、他方で内部にいる農民の位置を制度的にも観念的にも高める方式が採用された。荘園制から外れた河原や坂などに住み、自由に生き、活動する人びとに対する神道・仏教の諸観念を動員した差別意識の強化が、こうしてはかられることになった。天皇制の公領で始まったこの「排除」のシステムは、以後、各荘園領主に「便利」な支配秩序として受け入れられ、全国化する。また農民自身も、自立化を進めるにしたがって、このシステムに深くとらえられ、やがて、自分たちを被差別部落と明確に区別する意識が生まれ、自己を天皇の子孫と考えるなどの思想が浸透する。(ゴチックはソルティ付与)
上記の天皇制の公領で始まったというのが一つのポイントで、著者は部落差別の源流を平安時代中期の京都に起きた史実にもとめている。
天皇家の京都の守護神である鴨御祖神社(下鴨神社)の周囲に住んでいた「濫僧」「屠者」と呼ばれる人々を「ケガレ」ゆえに追放し、そののち彼らに京都市中の死人の清掃を担わせた。この「濫僧」「屠者」こそは「穢多」「非人」の前身という。
いったん社会から排除した者を、なんらかの形で(たとえば、3Kのような人の嫌がる仕事を押し付けるといった形で)社会と関係づけるところに、被差別部落が発生する土壌が用意される。
このあたりの記述は、中世ヨーロッパに見られた特定の職業の人々への差別について、歴史学者の阿部謹也が述べた説を連想させる。
心の底で恐れを抱いている人びとが、社会的には葬られながら、現実に共同体を担う仕事をしているという奇妙な関係が成立したのです。このような状況のなかで、一般の人びとも、それらの職業の人びとを恐れながら遠ざけようとし、そこから賤視が生じるのだと私は考えます。(『自分のなかに歴史をよむ』阿部謹也著、ちくま文庫)
明治4年(1871年)の賎民廃止令(「解放令」)以後も、現代に至るまで部落差別が続いてきた社会的要因として、著者は上記の「戸籍制度」とともに、資本主義社会における日本的経営スタイルを指摘している。いわゆる、終身雇用制度に象徴されるものである。
「社員は家族」の終身雇用制度のもと、『部落地名総鑑』を悪用した就職差別などがなぜ起こったのかを解き明かしていく過程で、日本社会が背負ってきた「負」あるいは「歪み」がえぐり出されていく。
「社員は家族」であればこそ、その中に穢多・非人が紛れ込むのを厭うたのである。
逆の見方をすると、人々が「自由・平等・個人の権利」をモットーとする近代民主主義の価値観を当り前のものとするようになったがゆえに、社会構造の中にしぶとく生き残っている前近代の“常識”や、大衆の中にしぶとく生き残っている前近代の“意識”が、「負」や「歪み」としてあらわになってきたのであろう。
本書の最終章では、解放令の直後に各地で勃発した零細農民らによる部落解放反対一揆(穢多狩り)の凄まじい残虐ぶりが描き出されていて、読んでいて言葉を失う。
これまで自分たちの下にいて優越感を与えてくれた相手が、近代思想に目覚め「平等、権利」を主張するようになるや、正気を失うほどの憤りにかられるさまは、フェミニズムに目覚めた妻をカッとなって殴るDV夫を思わせる。
ある村では、「おまえたち、随分偉そうに振舞うているじゃないか。もし昔の穢多に戻るというのだったら許してやる。しかし、今までどおりに偉そうに振舞うんだったら、村も焼く、おまえの命もない」といって竹槍を突きつけるわけです。それに対して「穢多でようござんす。命だけは助けてください」――。わずか20戸や30戸の村です。そこに1000人もの周りの村民が竹槍をもって、なかには鉄砲までももって襲ってくるんです。これに抵抗できるわけはないですよね。みんなそうやって詫び状を、涙ながらに書いて出すわけです。
「自由・平等・個人の権利」を当事者に許さない天皇制こそは、前近代の遺物の最たるものである。
すなわち、日本の “歪みの象徴” である。
これを現代民主主義のなかにどう位置づけるのか、あるいはどう位置づけないのか、がいまも問われているのだろう。
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