1964年新潮社

 動乱の第三部にくらべると、第四部はこれといった大きな社会的事件も主人公・畑中一家の生活上の変化もなく、平穏無事な展開と言える。
 もっとも、長男誠太郎のロシア出兵と無事帰還、小森部落内に公衆浴場ができる、部落から大阪に働きに出た若い男女の心中事件といった出来事は起こるのだが。

 この巻の焦点は、部落の人々が権利意識と社会不正に目覚め、それがだんだんと高まっていく様子を描くところにあろう。
 くだんの公衆浴場開設についても、それをお上からの有難い恩賜と受け取り、衛生環境を向上することで部落民に対する世間の偏見をなくしていこうという部落内の融和穏健派に対し、畑中家の次男孝二をはじめとする若者たちは容易に与することなく、部落差別を温存する社会と闘って社会を変えてこそ本当の意味での“解放”はあると議論を深めていく。
 その全国的な盛り上がりが、1922年(大正11年)京都における全国水平社の創立大会へとつながっていく。

 本巻では創立大会直前までの畑中一家と小森部落の日常風景が丹念にたどられるが、ここでついに小森部落の真宗寺院の跡取り息子である村上秀昭が、実在の社会運動家西光万吉をモデルとしていることが明らかとなり、本巻の最後は秀昭(=万吉)が書いた「水平社宣言」の草稿を孝二たちが読むところで終わる。
 人の世に熱あれ、人間(じんかん)に光あれ

 
桂冠旗
水平社創立当時の桂冠旗
西光万吉によって考案された


 いよいよ話も佳境、次の巻に入るのが待ち遠しいところであるが、本巻を読んでふと気になったことがある。
 部落の人々が権利意識に目覚めるのも、あるいは同時代の貧しい農民や工場労働者が格差社会に怒り米騒動やストライキを頻繁に起こすようになるのも、1917年ロシア革命とそれによって広まった共産主義の思想によるところが大きいという点である。
 少なくとも作者である住井すゑはそうした観点から物語を書いている。
 これは住井の思想信条(共産党びいき?)も関係しているのかもしれないが、やはり時代的に見ても、共産主義の影響こそ、当時の日本庶民の権利意識を目覚めさせるのに大いに力あったのであろう。
 つまり、普通「人権」と言えば、ロックやルソーやモンテスキューらによって思想的基盤が用意され、フランス革命やピューリタン革命やアメリカ独立宣言などの市民革命により民衆が勝ち取った成果というイメージがあるけれど、日本の場合は、その西欧的人権思想が大衆の間に広く浸透し深く根づく暇のないまま、共産主義思想すなわち“階級闘争による平等社会の実現”という政治経済的欲求のほうが専横してしまったのではないか、ということである。
 きびしい差別を受けていた部落民のようなマイノリティはともかく、はたして一般大衆のどれだけが、「人が生まれつき持ち、国家権力によっても侵されない」人権の根幹を理解していたのだろうか。
 
 森喜朗の女性蔑視発言とかコロナ禍における感染者差別とか、いまだになかなか根づかない日本人の人権感覚を鑑みるに、そして、「人権」を口にするとたちまち「左の人」と決めつけられてしまう不可解さを思うに、明治維新後の日本人の近代人としての思想形成史の中に、なにか抜け落ちているものがあるのではないかという気がするのだ。