1931年アメリカ
89分
ミステリー作家の伝記?
いやそれは、アガサ・クリスティ。
アメリカの劇作家ユージン・オニール原作の若い女性を主人公とした人情ドラマである。
このヒロイン、アンナを25歳のグレタ・ガルボが演じている。
公開時のキャッチコピーが Garbo talks! ということから分かるように、ガルボ初のトーキー映画で、観客は絶世の美女ガルボが果たしてどんな声をしているのか興味津々だったという。
ガルボのふくよかな響きあるハスキーボイスは、観客に受け入れられ、その人気をさらに高める結果となった。
ストーリー自体は陳腐で女性蔑視丸出しで、現代の感覚からすると到底上映に値するものではない(反森喜朗派からの非難轟々必死)。
生活に疲れ果てたアンナは、幼い時に別れ15年間会えずにいた父親のもとへ帰ってくる。船で働く父親との海上生活で、アンナは次第に癒され、船乗りの恋人とも出会う。娼婦をしていたことを父親にも恋人にも告白できず悶々と悩むアンナ。アンナの決死の思いの告白にショックを受ける父親。アンナを見下しプロポーズを撤回する恋人(=チャールズ・ビックフォード)。むろん、二人の船乗りは港々で女を買って遊んでいる“海の男”である。最後は父親と恋人はアンナを許し受け入れ、三人には明るい未来が待っている。
孤独好きでバイセクシュアルの噂があり生涯結婚しなかった素顔のガルボ(=グレータ・グスタフソン)なら絶対に受け入れなかったであろう男尊女卑の物語を、ガルボがけなげに演じているところに、何とも言えない落差がある。
この落差が、北欧のスフィンクスと讃えられたガルボの類いまれなる美貌を伴って、一種の品格とも諦観ともなって、ガルボ映画独特の哀愁が生まれる。
それは避けられない運命を毅然として受け入れる者に共通する孤高なる美なのだ。
フェミニズムを通過した現代なら、ガルボは自らの本質にふさわしい役を自由に選び、思いっきり演じられたことであろう。たとえば、ニコール・キッドマンのように。
であれば、36歳の若さで引退する必要もなかったであろう。
であれば、36歳の若さで引退する必要もなかったであろう。
女性グレータ・グスタフソンの悲劇は、半世紀早く生まれてしまったことだ。
女優グレタ・ガルボの華々しい成功と魅力の秘密は、半世紀早く生まれたことだ。
おすすめ度 : ★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損
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