2006年原著刊行
2016年新潮社(魚川祐司訳)

 たいていの人はさみしさを感じていますが、独りで生きているわけではありません。
 彼らはただすごくさみしく感じているだけで、独りで生きているわけではないのです。
 独りで生きていてもさみしくならないということが、あなたにはできる。
 これこそ瞑想者の学ぶべきことであり、またそれができるように学ぶことは、たいへん有益なことでもあります。
 「独りでいても、さみしくないこと」
(標題書 P.505より抜粋)


 18歳の秋に人生初めての一人旅をした。
 行先は京都であった。

 当時、東京駅23:30発の大垣行き普通夜行列車というのがあった。
 大垣駅に朝の7時頃に到着、乗り換えて京都には9時くらいに着いただろうか(朝の京都タワーがまぶしかった)。
 まだ青春18切符も、JR東海「そうだ京都、行こう。」キャンペーンもない時代で、紅葉時期にも関わらず京都は空いていたし、夜行列車も空いていた。
 青い布張りの向かい合わせのボックスシートを一人占めにし、缶コーヒー片手に東京駅のホームが後方に去っていくのを眺めた。
 初めての一人旅にワクワク、というより心細かった。
 さびしかった。

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大垣行き夜行列車
静岡駅で長い停車があり、駅弁や網入りミカンを買うことができた


 実家暮らしだったので、一人でいることに慣れていなかった。
 どこかに遊びに行くときは家族や友人と一緒だったので、一人で行動することにも慣れていなかった。
 京都の観光名所を巡っている時も、一人ぼっちの自分を意識してしまって、妙に落ち着かなかった。
 一人で食堂に入った時も、周囲の目が気になり、ゆっくり過ごすことができなかった。
 ふと見ると、隣のテーブルで中年の会社員らしき男がワイシャツの袖をまくり、煙草をくゆらしながら、新聞を読んでいた。 
 その泰然自若たる落ち着きぶりに憧れた。
 「自分もあんなふうに“一人でいても間が持てる男”になりたい」と思った。
 カッコよく言えば、孤独が似合う男になりたかった。
 いや、一人でいても孤独を感じない男になりたかった。
 英語で言うなら、Lonely でなく Alone だ。 

孤独な男


 あれから幾星霜。
 すっかり一人が板についたソルティ。
 一人旅を重ねること数十回、山登りの単独行数百回、一人映画、一人コンサート、一人落語、一人呑み、そして一人暮らし数十年(いまは実家住まい)。
 今もっともくつろぐ瞬間は、一人でお気に入りのレストランやカフェで本を読んでいるとき、そして瞑想中である。
 さびしいとか侘しいとか心細いといった思いはみじんもなく、周囲の目もまったく気にならない。
 おおむね安穏としている。 
 完璧に Lonely から Alone になった。
 18歳の秋に憧れていた男になった。

 しかるにまずったことに、逆に今は「誰かと一緒にいること」が不得手になってしまったようなのである。
 その誰かが、レストランの隣席にいるようなまったくの他人だったら問題はないのだが、ちょっとでも言葉を交わし見知っている人となると、どうにも 相手に気を遣ってしまって、自分の世界に閉じこもれなくなり、くつろげなくなる。
 一人上手を極めた結果なのかとも思うが、考えてみると一人でいる(=自分と過ごす)方が、誰かといる(=他人と過ごす)よりも気楽なのはあたりまえなのだ。
 ソルティはたぶん、ずっと前から、最近はやりのHSP(繊細さん)だったのであろう。

 人と会うことも、人と話すことも、人と遊ぶことも、決して嫌いではないのだが――であればこそ接客や対人支援の仕事ばかり就いてきたわけだ――それでもなお、一人でいることの魅力には及ばない。
 

キヨブタ