1939年松竹
146分
原作 村松梢風
脚本 依田義賢
これも蓮實重彦が『見るレッスン 映画史特別講座』の中で絶賛していた。
新派の名優・花柳章太郎(1894-1965)が、実在した歌舞伎役者・二代目尾上菊之助を演じている。
芸道物語であり、悲恋物語であり、溝口お得意の転落物語でもある。
五代目尾上菊五郎(=河原崎権十郎)の養子として周囲からチヤホヤされてきた菊之助は、芸に身が入らず、大根役者と陰口をたたかれていた。それを直言し精進を願う女中のお徳(=森赫子、もりかくこ)と恋仲になるも、身分違いの恋は許されず、二人は別れさせられる。菊之助は体面や家柄ばかり気に掛ける周囲に嫌気がさし、七光りでなく自らの実力によって頭角を現すことを決意し、東京を飛び出す。心配して追ってきたお徳と大阪で再会、一緒に暮らすようになるも、実力にも運にも恵まれない菊之助は転落の一途をたどり、旅回りの一座でその日暮らしの惨めな生活を送るようになり、荒んでいく。それでも菊之助の返り咲きを願うお徳は、一身に仕え、励まし、復帰のために奔走する。その甲斐あって、幼馴染の歌舞伎役者・中村福助(=高田浩吉)の助けを得た菊之助は役をもらい、久しぶりの大舞台で見事に実力を発揮、万雷の拍手で迎えられる。一方、きびしい生活で無理がたたったお徳は、最期の時を迎えていた。
お涙頂戴の新派悲劇、メロドラマである。
オペラで言えば『椿姫』とか『蝶々夫人』のような。
音楽や歌唱という媒介があるオペラならともかく、セリフと芝居にたよる映画やテレビで今時これをやられた日にはゲンナリしてしまいそうなものだが、溝口の魔術によって格調高い、深みある映像芸術に仕上がっている。
しかも、娯楽作品としても成功している。
蓮實の威を借るみたいで嫌なのだが、間違いなく、傑作!
やはり蓮實の推奨によって30年以上前に観たダグラス・カーク監督のメロドラマ『世界の涯てに』(1936)を思い出した。
主役の二人を演じる花柳章太郎と森赫子がいい。
花柳の繊細な表情、森の艶やかにして美しい口舌、二人の呼吸もぴったり。
森は1956年失明して引退。自伝『女優』や『盲目』という本を書いている。新藤兼人のドキュメンタリー『ある映画監督の生涯 溝口健二の記録』(1975)にも出演していたらしいが、覚えていないのが残念。
クライマックスは、まさに『椿姫』よろしく、死の床にあるお徳のもとに、歌舞伎役者晴れの舞台である“船乗り込み”を抜けて駆けつける菊之助、今生の別れである。
お徳を一心に見守る菊之助、そして家主の夫婦。
が、虫の息のお徳は菊之助をいさめる。
「御贔屓が待っているじゃないの。あなた、いや若旦那、船に戻ってちょうだい」
まさに新派の真骨頂、紅涙をしぼる名場面。
しかしながら、この画面で観る者が何よりも心を掴まれ、目が離せなくなるのは、今はの際にあって気丈なお徳でもなく、涙をこらえ肩を震わす菊之助でもなく、二人の脇にいる家主の男が高熱のお徳に風を送る、その手に握られた黒い団扇なのである。
ウナギのかば焼きをあおぐようなその手の律動的な動き。左右に翻り、一時停止し、また翻る団扇の運動。
それぞれの感情がこれ以上にないほど高まった非日常の瞬間にあって、唯一の日常的運動が当人も意識しないところで行われている。
そのとき観る者は、その団扇の何気ない運動の中に、世界のすべてが凝縮されているのを知る。
いわば世界が反転するのだ。
なぜそんなことが可能なのか、映画開眼して30年以上になる今も分からない。
おすすめ度 :★★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損


