1948年刊行
2021年早川書房(越前敏弥・訳)

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 新訳である。
 高校時代に旧訳版を読んだはずなのだが、どんな話で、どんなトリックで、誰が犯人か、すっかり忘れていた。
 途中、エラリーが、恐喝された友人を助けるために泥棒の片棒をかつぐという愚かしい真似をして、どんどん言い逃れできない苦境に自ら陥っていく。
「エラリーったら、なんて愚かなんだ!」
と心の中で叫んだ瞬間、同じ叫びを以前にも発したことを思い出した。 

 前回読んだ時も、国名シリーズで示されたように頭が良くてクールなエラリーの“らしくない”行動に、不自然さと苛立ちを感じたのだった。
 が、それもまた全体のトリックに欠かせない重要な要素であることに、前回同様、気がつかなかった。
 ゆえに、最後にはかなりの衝撃が待っていた。
 が、トリックそのものの衝撃でも、意外な真犯人の衝撃でもない。
 一連の主人公エラリーの探偵としてのアイデンティティを揺るがす真相ゆえの衝撃である。
 アガサ・クリスティの『カーテン』やバロネス・オルツィの『隅の老人』に匹敵するような探偵小説究極のどんでん返し。
「えっ、こんな結末だったっけ!?」
 『カーテン』や『隅の老人』の結末は覚えているのに、なぜこの『十日間の不思議』をすっかり忘れていられたのやら?

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 思うに、トリックそのものがかなり実現性の乏しい不自然なものという気がする。
 ネタばらしすれば、真犯人が複数の人(その中にエラリーも含まれる)の心理を巧みに操り、各人に狙いとする行動をとらせ、泥棒や殺人を生じせしめ、狙いとする推理をエラリーをして語らせしめ、最終的に復讐を成就するというもの。
 同じことを京極夏彦が『絡新婦の理』でチャレンジしているが、着想としては面白いが、偶然に任せる要素が多くて合理性に欠く。
 上記のエラリーの“らしくない”行動はまさにその一つで、トリックの実現のために登場人物の本来のキャラクターを変えるという、不自然な操作をしているのだ。
 ここがおそらく、最初読んだ時に「なんだかなあ~」と不満に思い、失望したところだろう。
 結果、記憶に残らなかったのだ。

 とはいえ、一度読み始めたら止められないストリーテリングの巧みさは、やっぱり本格ミステリー黄金期の巨頭の一人である。
 創元推理文庫に収録された初期の国名シリーズや『X・Y・Zの悲劇』も面白いが、後期のライツヴィルものをはじめとする早川書房の青い背表紙シリーズは人間ドラマの要素が多分にあり、大人の鑑賞に耐える。
 思春期のソルティは、1970年発表の『最後の女』に衝撃を受けた。(邦訳は76年)
 思えば、同性愛を扱った小説を読んだのはあれが初めてであった。(漫画はその限りにあらず) 
 同性愛=ホモ=おかま(女装)と思われていた時代の話である。
 こちらは忘れることはない。 




おすすめ度 :★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損