1992年原著刊行
1993年創元推理文庫(押田由起 訳)

 『シャーロック・ホームズのドキュメント』に続き、2冊目のトムスン・パスティーシュ。
 ワトスン手記による7つの短編が収録されている。

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 どれも小粒だがよく出来ていて、コナン・ドイルの“聖典”を彷彿するパスティーシュとしてはもちろんのこと、単純なミステリーとしても、19世紀英国の風俗小説としても十分楽しめた。
 ホームズの実兄であるマイクロフトが登場する大捕物サスペンス『スマトラの大鼠』などは、没後60年ぶりに発見されたドイルの遺作と言われたらそのまま信じ込んでしまいそうなほど、“聖典”の短編群に遜色ない出来栄え。
 真犯人の隠れ家の探索に行き詰まったホームズに、ワトスンの一言が曙光をもたらし、一気に解決へと向かうプロットは、いつも鈍重な役回りばかりさせられる我らがワトスンの面目躍如たるものがある。
 しかし、ワトスンが子供の頃、二十日鼠を飼っていたとは!

マウス


 “聖典”との大きな違いの一つは、やはり、現代女性作家ならではの視点である。
 産業革命華やかなりし19世紀英国の活気あるヴィクトリア時代をきっちりした時代考証をもとに再現しながらも、階級社会への風刺であるとか、ロンドンのスラムにおける貧困や衛生の問題であるとか、ホームズがぷかぷか吸っている煙草の害であるとか、男女不平等社会の弊害であるとか、時代の真っただ中にいたドイルが「あたりまえ」に思い問題意識を持たなかったであろうトピックが、現代女性の視点からやんわりとではあるが問いただされている。
 そこが単なるパロディとは違ったトムスン・パスティーシュの魅力であろう。

 一例をあげると、有能なる家政婦が勤め先の館の主人を毒殺し、その罪を相続人の甥になすりつけようとした『キャンバウェルの毒殺事件』において、家政婦の犯罪を見事な推理により暴いたホームズは、沈痛な面持ちで「すべての罪を彼女に負わせるべきでない」と言う。
 ワトスンは困惑し、「まだほかに共犯者がいるのか?」と尋ねる。
 ホームズは答える。

「きまっているじゃないか、社会だよ!」彼は言った。「彼女の境遇を考えてみたまえ。ここに疑う余地のない知性と才能を持ちあわせながら、財力に乏しく、世に出るチャンスはさらに乏しい女性がいる。いったいわれわれは――ここではワトスン、きみとぼくがその一員である社会一般のことを言ってるんだぜ――彼女にどんな生き方を期待できるだろう? もちろん、結婚すればいいさ。だがもし当人がそうしたくない場合、彼女より能力はないが経済力のある他人のために、女中頭や家庭教師やコンパニオンをつとめて、あたら才能を費やすしか道はないんだ。社会が彼女に可能性を充分に発揮させていたなら、きっと犯罪に頼ることなど考えもしなかったろう。大使だろうが、実業家だろうが政治家だろうが、何でも好きな職業を選んで資質を存分に生かすことができたろうし、こいつはばかげた考えに思えるかもしれないが、それこそ英国首相の座にのぼりつめることだって、できなくはなかったかもしれない」

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マーガレット・サッチャー元首相


 “聖典”のホームズなら、決して口にしないであろうセリフである。
 きっちりした時代考証と原典研究で本シリーズをものしているジューンであるが、肝心の主人公ホームズのキャラクターについては、実のところ“聖典”とは若干ズレている。
 筋金入りのシャーロキアンであればそれは許されないことに思えようが、ジューンはホームズとワトスンを愛すればこそ、ホームズをフェミニストに仕立て上げて、このようなセリフを吐かさせずにはいられなかったのであろう。



おすすめ度 :★★★

★★★★★
 もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損