2020年中公文庫
1956年から69年に誌上で行われた三島由紀夫と石原慎太郎の全対話9編、併せて1970年の毎日新聞紙上での論争を収録している。
「戦後日本を象徴する二大スタア作家の競演」という裏表紙の謳い文句に偽りはない。
上記の写真は1956年撮影と注釈にあるから、おそらく二人が初めて対談した『文學界』昭和31年4月号の際に撮ったものであろう。
場所は当時文藝春秋社ビルがあった銀座界隈と思われる。
時に三島由紀夫31歳、石原慎太郎24歳、7つ違いであった。
昭和40年生まれと昭和47年生まれ、あるいは平成3年生まれと平成10年生まれの違いはそれほど大きくはない。
しかし、大正14年生まれと昭和7年生まれの違いは看過できないほど大きいと思う。
なぜなら、三島は多感な青春期に太平洋戦争、徴兵検査、広島・長崎原爆投下、ポツダム宣言受諾、天皇の人間宣言、日本国憲法発布を経験しているのであり、一方、石原の青春は戦後に始まったからである。
両者の国家観、天皇観、戦争観、日本人観、そして死生観には埋められない深い溝があると想像される。
その意味では、ともにブルジョア育ちで戦後に文壇に躍り出て一躍マスコミの寵児として持て囃されたという共通項こそあれど、三島は戦前・戦中の意識を背負った作家、石原は戦後の空気を象徴する作家という違いが指摘できよう。
さらに、この写真で気づくのは二人の身長差である。
181㎝と長身の石原に対し、三島は163㎝、20㎝近い差がある。
撮影ではそのギャップが目立たないように、三島を前景に置き、かがんで手すりにもたれているような姿勢を取らせ、下半身はカットするという工夫が取られている。
だが、ちょうど頭一つ分の二人の顔の位置の差は、そのまま二人の身長差であろう。
これに象徴されるように、生まれながらの美丈夫でスポーツマンであった石原に対し、三島はコンプレックスを持たざるをえなかった。
三島が貧弱な肉体改造のためボディビルを始めたのが、石原が『太陽の季節』で華々しくデビューした直後だったのは一つの符号である。
二人の対話は、三島が己の肉体にそれなりに自信を持てるようになった頃、マッチョへの道、武芸への道、革命の志士への道を歩みだすターニングポイントに立ったあたりから始まったのである。
本書の一番の面白さは、戦後のスタア作家でマスコミの寵児という共通項を持ちながらもまったく対照的な二人の対話を通して、それぞれのキャラ(本質)が浮かび上がってくるところにある。
両人は、互いに小説家としての才能と仕事を認め合い、「友人ではなくとも味方」として認識し、互いの作品への忌憚ない批評を行い、男同士ならではの女性論や結婚論を開陳し合い、ときには文壇の先輩後輩という立場を離れて意見を闘わせている。
先輩作家であり時代のヒーローである三島に対する新人作家・石原のタメグチに近い応答は、無礼と思う前に有吉弘行のようなふてぶてしさに感心するほどであり、それを平気で許してしまう三島の度量というか愛情(だろうな、やっぱり)は貴重なものである。
石原慎太郎という男は、若い頃から偉そうだったんだな~。
三島由紀夫は、漱石や芥川龍之介や谷崎や川端や太宰治など明治以来の文豪の流れをくむ根っからの物書きで、「書くこと=生きること」タイプのインドア人間。
一方、石原慎太郎は、小説のほかにも映画を作ったり、ヨットやオートバイラリーをやったり、政治をやったり、女と遊んだり、「行動すること=生きること」タイプのアウトドア人間。
この違いは両人の“自意識”に対するスタンスの差にあるようだ。
三島は石原を「自意識において破滅しない作家」と評する。
三島 この人たちはどうほうっておいても、どんなにいじめても、自意識の問題で破滅することはない。それは悪口いえば無意識過多ということになるよね。・・・(中略)・・・自意識というものがどういうふうに人間をばらばらにし、めちゃくちゃにしちゃうかという問題にぶつかったときに、耐えうる人と耐え得ない人があるんだね。
三島は「自意識において破滅する作家」の典型として太宰治を上げているが、むろん、三島自身も間違いなくその一人であった。三島の有名な太宰批判は、一種の同族嫌悪であろう。
別の言い方をすれば、三島にとって自意識は常に「邪魔になる」ものであったのに対し、石原の自意識は常に「宝になるもの、自慢になるもの」であった。
我が国の明治以来の文学の伝統は、「厄介なる自意識(近代的自我)をどう社会の中に位置づけるか」みたいなところにあったわけだが、石原はその本流からは逸れているのかもしれない。(ソルティは石原の対談集はともかく小説を読んだことがないので推測にすぎんが)
両者の違いが鮮明に表れるのは、『守るべきものの価値』と題された最後の対談(昭和44年11月実施)である。この対談のちょうど一年後に三島は自決している。
石原による「あとがきにかえて」(2020年に行ったインタビュー)によれば、この対談の最初のテーマは『男は何のために死ねるか』だったそうで、対談の皮切りに両人が「せーの」で提出し合ったこの問いに対する回答はまったく同じ、「自己犠牲」であった。
ところが、対談を通して判明していくのは、この「自己犠牲」の中身がまったく異なることである。
「最後に守るべきものは何か」という問いに対して、三島が出した答えは「三種の神器」すなわち天皇制である。
これは、天皇こそが日本文化の要であり、日本を他国から弁別できる最終的なアイデンティティは天皇制だけだ、という三島の思想によっている。
それを死守するための自己犠牲なのだ。
これは、天皇こそが日本文化の要であり、日本を他国から弁別できる最終的なアイデンティティは天皇制だけだ、という三島の思想によっている。
それを死守するための自己犠牲なのだ。
一方の石原は「自分が守らなければならないもの、あるいは社会が守らなければならないもの」は、自由だと言う。
石原 僕の言う自由はもっと存在論的なもので、つまり全共闘なり、自民党なり、アメリカンデモクラシーが言っているもののもっと以前のもので、その人間の存在というもの、あるいはその人間があるということの意味を個性的に表現しうるということです。つまり僕が本当に僕として生きていく自由。
自らの自由、あるいは自由な表現を守るための「自己犠牲」は尊い、というのが石原のポリシーなのである。
同じ「自己犠牲」でもベクトルは真逆である。
三島が没我的・他律的であるのに対し、石原は自己顕揚的・自律的である。
あるいはこの違いこそ、「お国のため」、「君のため」を幼い頃より叩きこまれた戦前・戦中派と、「自分ファースト」の戦後派の違いなのかもしれない。
両人はこの違いにおいて、激しく意見を衝突させる。
三島 形というものが文化の本質で、その形にあらわれたものを、そしてそれが最終的なもので、これを守らなければもうだめだというもの、それだけを考えていればいいと思う、ほかのことは何も考える必要はないという考えなんだ。石原 やはり三島さんのなかに三島さん以外の人がいるんですね。三島 そうです、もちろんですよ。石原 ぼくにはそれがいけないんだ。三島 あなたのほうが自我意識が強いんですよ。(笑)石原 そりゃァ、もちろんそうです。ぼくはぼくしかいないんだもの。ぼくはやはり守るのはぼくしかないと思う。三島 身を守るというのは卑しい思想だよ。石原 守るのじゃない、示すのだ。かけがえのない自分を時のすべてに対立させて。三島 絶対、自己放棄に達しない思想というのは卑しい思想だ。石原 身を守るということが?・・・・ぼくは違うと思う。三島 そういうの、ぼくは非常にきらいなんだ。石原 自分の存在ほど高貴なものはないじゃないですか。かけがえのない価値だって自分しかない。
図式的な見方になるが、
三島由紀夫 =自己否定的=生の否定=肯定できる他者(美、天皇)の顕揚と仮託
石原慎太郎 =自己肯定的=生の肯定=他者不要(あるいは自分を顕揚してくれる他者のみ必要)
両者はちょうどネガとポジのよう。
どっちが生活者として幸福かといったら、自ら「太陽」であり「天然」であり「王様」である石原のほうであろう。
どっちが文学者として幸福か、つまり後世に残るかといえば、むろん三島である。
なぜなら、他者不要の文学なんて意味がないから。
「あとがきにかえて」の最後で、石原はこう述べている。
結局、あの人は全部バーチャル、虚構だったね。最後の自殺劇だって、政治行動じゃないしバーチャルだよ。『豊饒の海』は、自分の人生がすべて虚構だったということを明かしている。最後に自分でそう書いているんだから、つらかったと思うし、気の毒だったな。三島さんは、本当は天皇を崇拝していなかったと思うね。自分を核に据えた一つの虚構の世界を築いていたから、天皇もそのための小道具でしかなかった。彼の虚構の世界の一つの大事な飾り物だったと思う。
ソルティも、ここで石原の言っていることはかなりの程度まで当たっているように思う。
ただ、石原の人を貶めるような物言いには、文学者として最早決して同じレベルに立つことができない先輩・三島に対する男の嫉妬のようなものが感じられる。
悪名高い石原のホモフォビアも、三島への嫉妬心から来ると思えば存外理解しやすい。
恩知らずな奴。
おすすめ度 :★★★★
★★★★★ もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★ 面白い! お見事! 一食抜いても
★★★ 読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★ いい退屈しのぎになった
★ 読み損、観て損、聴き損