1944年原著刊行
2004年早川書房

 ミステリーの女王クリスティのミステリー以外の小説の中で最も有名な一作。
 昔読んだのだが、すっかり内容を忘れていた。
 読み始めたら止まらない、かっぱえびせんのようなストーリーテリングはここでも健在。
 1時間強で読み上げてしまった。

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 誰からも羨まれる絵にかいたような理想の家庭、理想の妻、理想の母親、理想の人生を歩んできたつもりの主人公ジョーン・スカダモア。
 ある時、バグダッドからロンドンへの旅の途中で天候により足止めを食らい、なんにもない砂漠の真ん中で数日過ごす羽目に陥る。
 気を紛らわすものがない、話す相手もいないありあまった時間の中で、ジョーンは人生で初めて自分自身と向き合うことになり、それまで自分が見ようとしなかった残酷な真実に気づかされていく。

 解説を早川書房最大のヒットメーカーたる作家栗本薫(2009年没)が書いている。
 本書が栗本自身の生まれ育った家庭を想起させ、まったく他人ごとではないがゆえ、「哀しくて恐ろしい」印象を抱かされたと述べている。
 それが示唆するように、本書のテーマは時の経過によって古びることのない人間性の一面=自己欺瞞を扱っている。
 「あるべき」自分や他人をひたすら求める者が、「ありのまま」の自分や他人を受け入れることも愛することもできず、結果として体裁はいいが中味のない偽りの人生を送ってしまうのだが、それに自ら気づかないように振舞い続ける。
 昨今の中高年ひきこもり問題や押川剛が『「子供を殺してください」という親たち』などで提起した家庭内暴力家庭の根底にあるもの――通俗道徳信奉の弊害と通じている。

 『春にして君を離れ』はクリスティが長年あたため続けてきた素材で、書き上げるのに3日しか要さなかったという。
 ジョーンが残酷な真実にひたひたと近づいていくサスペンスと息詰まるような展開は、『そして誰もいなくなった』におさおさひけをとらない。

 クリスティは奇想天外なトリックで世間を仰天させた『アクロイド殺し』を出版した同じ年に、11日間の謎の失踪をしている(当時36歳)。
 最愛の母親の死、夫の愛人問題がきっかけではないかと言われている。
 ソルティは、この失踪の背景にはジョーン同様の(栗本薫同様の)、クリスティの自身への気づきがあったのではないかと推測している。(クリスティの母親は相当な教育ママだったらしい)



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損