1960年新潮社より原著刊行
2020年新潮文庫新版

 1959年(昭和34年)におこなわれた都知事選出馬者(元外務大臣・有田八郎)をモデルにしたことで日本初のプライバシー裁判となった作品として有名だが、こういったセンセーショナルなアオリ文句は、もういい加減、解説からはともかく帯などの紹介文からは削られるべきだろう。
 60年以上も前の事件であるし、有田八郎と付き合いのあった現役政治家はもうこの世にいないのだし、もちろん三島由紀夫も。
 三面記事のようなアオリ文句が、この作品を三島が手すさびに書いた、男が主人公の政治(腐敗)小説のように読者に誤解させ、本来の価値を翳らせてしまいかねない。
 この作品が、海外でかえって高く評価されているのは、まさにそうした事情によるのではないか。

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 この小説の素晴らしさは、福沢かづというヒロインの魅力につきる。
 おそらく、三島の全作品中、『鹿鳴館』の朝子、『サド侯爵夫人』のサン・フォン伯爵夫人、『黒蜥蜴』の緑川夫人に並ぶ個性豊かな魅力キャラである。
 日本の小説を見渡しても、これだけ情熱的で行動力にあふれ、傍で見ていて面白くて愛らしいヒロインはそういないだろう。
 読み始めたら、小説のプロットとかテーマとか文学性なんかは二の次で、よく泣き、よく動き、よく働き、よく愛し、よく装う、天真爛漫なかづの魅力に惹かれてしまう。
 保守派の政治家や高級官僚の利用する一流料亭の女将としての華やかさと気風の良さ、革新派の夫・野口雄資のためドブ板選挙を厭わず精力的に手伝う行動力と人心掌握。
 映画化したらどの女優がこの役にふさわしいだろうか?とずっと考えながら読んでいた。

 ウィキによると、成瀬巳喜男のメガホン、山本富士子のかづ、森雅之の野口雄資という顔触れで企画があったらしいが、プライバシー裁判のせいで流れてしまったとの由。
 なんともったいない!
 なるほど着物の似合う美貌の山本富士子は一流料亭の女将として申し分なく、貫禄も十分だ。
 が、夫の選挙のために駆けずり回る行動力とパワー、買い物中の主婦の足を止めてマイクの前から離さない田中真紀子のような庶民に訴えるカリスマオーラーは、上品な山本では足りない気がする。
 いろいろな女優の顔を思い浮かべた結果、「この人なら」というのに当たった。

 岡田茉莉子である。
 美貌と情熱、行動力と気風の良さ、言うことなかろう。
 岡田茉莉子と仲代達矢のコンビだったらピッタリだったと思う。

岡田茉莉子
岡田茉莉子


 バロックのような華麗なる修辞と心理分析に長けているがゆえに、ややもすると人工的な印象がつきまとう三島作品の中にあって、本作は題材の性質上もあって過度な修辞も精密な心理分析も抑えられている。
 それがかえって作品全体に自然なタッチをもたらし、三島の修辞抜きの素の文章のうまさが引き立ち、余裕綽々たる洒脱な風情さえ漂っている。
 ときに差し込まれる比喩の見事さ。

夜になって冷たい風が募って、空にはあわただしい雲のゆききの奥に、壁に刺した画鋲のような月があった。

何か野口のベッドには、吹きさらしのプラットフォームのような感じがある。それでも彼は、かづよりも寝つきがいいのである。 

かづの心はありたけの嘘を考えていた。陽気な言いのがれは彼女の天分の一部で、どんな窮地に立っても、狭い軒下をくぐり抜けて飛ぶ燕のように、たちまち身をかわすことのできるかづなのに、この場合に限って何も言わないことこそ最良の言いのがれだろうと思われた。

・・・彼は今一刻も早く、残り少ない自分の人生を不動なものにしたくてうずうずしていた。もう修理や改築や、青写真の書き直しや、プランの練り直しはご御免であった。彼の心も肉体も、すでにあらゆる不確定に堪えなかった。フルーツ・ジェロのなかの果物の一片のように、身をおののかせながら、少しも早くゼラチンの固まってくれる時を待っていた。

 本作を『鹿鳴館』のように、男の論理と女の情念の擦れ違いの物語、男の理想と女の現実との相克を描いた一種の恋愛劇と読むことは可能であろう。
 『サド侯爵夫人』のように、男にひたすら尽くすことに情熱を傾けてきた女がふとしたはずみで男に愛想をつかして捨て去る話と読むこともできよう。
 あるいはまた、かづが「政治と情事は瓜二つ」と直感で見抜いたように、日本の政治の浪花節的な性質=非論理性に対する三島自身の風刺と読むことも可能であろう。
 しかしながら、読み終わって残るのは、福沢かづの愛すべき驕慢ぶりと“水盤にたっぷりと湛えられた乳のような”白い肌である。
  



おすすめ度 :★★★★

★★★★★ 
もう最高! 読まなきゃ損、観なきゃ損、聴かなきゃ損
★★★★  面白い! お見事! 一食抜いても
★★★   読んでよかった、観てよかった、聴いてよかった
★★    いい退屈しのぎになった
     読み損、観て損、聴き損